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新興ブルジョアジーのグエルとロペス
初代グエルはバルセロナ近郊の漁村の
出身で、18歳でキューバに渡り下積み生活を
始めました。当時、中南米諸国が独立を
果たした中でキューバだけがスペイン植民地として残っており、カタルーニャ人の島と言われるほど立身出世を目指して多くのカタルーニャ人が
いました。
カタルーニャの織物を船でキューバに輸出し、
砂糖に交換して、その砂糖をアメリカに運び綿花と交換、その綿花を同じ船でカタルーニャに運び織物の材料としました。こうした貿易でさかえた
ハバナに商店を構えた初代ジュアン・グエルは
商店会会長になるまでに成功します。その後、
バルセロナに帰国し、織物工場を創業し、政界にも進出して保護貿易の先鋒をきり、後進国スペイン、特にカタルーニャの近代産業発展に貢献します。
スペイン北部の寒村コミーリャス出身のアントニオ・ロペスは17歳でキューバのハバナに渡り、
イギリスの奴隷貿易禁止後、台頭していたカタルーニャ人奴隷商に混じり、奴隷貿易で財をなし、妻の出身地バルセロナに国際級の会社をおこします。モロッコとのアフリカ戦争やキューバ第一次独立戦争でスペイン軍の移動や物資の運搬に貢献することで1878年にコミーリャス侯爵に叙任されます。
貴族が由緒来歴、それを示す領地や建築遺産を特徴とするならば、新興ブルジョアの社会的ステイタスを誇示する一つの有効な方法は、広大な土地と豪壮な邸宅を持つことでしたでしょう。
ガウディの全建築人生にわたりパトロンとして
君臨した両家はこのような時代背景の中から
頭角を現し、サグラダ・ファミリア聖堂にも巨額の献金をしました。