見出し画像

財政難との闘い

先にも述べましたが、産業革命がもたらした
負の遺産として貧富の差が拡大しました。

そうした中、カトリック教会の庇護のもと、
社会のため、聖ヨセフに尊い加護を嘆願する、
として、「聖ヨセフ信心会」が設立され、
スペイン語の機関誌も発行されます。これは、
バルセロナやカタルーニャだけを対象とした
ものではなく、全スペイン語圏、すなわち
スペインのみならず、中南米からフィリピンまでもが対象になります。物理的な本部も本堂も、
あるいは執行部のような組織もなく、あるのは
宗教書の書店とその店主と顧問の神父のみです。
この信心会はそれまでの豊かな富豪による後ろ盾はなく、財力も権力もない貧しい人々の民間団体にすぎません。しかし会員数は順調に伸び、設立6年後には40万人を超え、バルセロナの人口30万人をはるかに越えます。折しも、ローマのバチカン公会議で聖ヨセフをカトリック協会の守護聖人とする決定が下され、聖ヨセフへの帰依ブームが到来していたことも、少なからぬ影響があったと
思われます。

しかし、貧しい人たちの協会ですから土地も財源もありません。貧しい人々が自らの生活を犠牲にしてまで神に救いを求め、聖家族に捧げた聖堂建立のために献金する方法ですから、まさに「贖罪」の理念に叶っていると言えるでしょう。
しかし、初期の有力なパトロンたちが他界していくと、たちまち財政難に陥り慢性的な赤字体質になっていきます。やがてガウディはサグラダ・ファミリアの建立に専念するようになり、建築家の
枠を超えて戸別訪問をして、支援を募るようになります。しかし、当時勃発した第一次世界大戦
の影響もあり、思うような成果はなかなか挙げられません。それでも、ごく稀に趣旨に賛同した
支援者が匿名で高額の寄付をしてくれたりしました。最も高額の寄付者の名前は未だに明らかにされていないのだそうです。

益々、貧民のための貧民による「贖罪聖堂」という色あいがはっきりとしてきました。


いいなと思ったら応援しよう!