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聖ヨセフの第6の日曜日

キリストが生まれた喜びもつかの間、
ヘロデ王の幼児虐殺から逃れるために
エジプトへにげた聖ヨセフとその聖家族
でした。しかし、ヘロデ王が死にその受難の時も過ぎ去りました。

「そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。しかし、アラケオがその父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。」
(マタイによる福音書第2章21〜22節)

一難去って、また一難。次から次へと災いは
襲いかかってくるものなのですね。

「そして夢てみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。」
(マタイによる福音書第2章22〜23節)

果たして、聖家族は迫害を流れて安住の地
に落ち着くことができました。

「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を
行くがごとし。急ぐべからず。」
これは、皆さんご存知の徳川家康の言葉
ですが、古今東西、東洋西洋を問わず
常に人間というのは、苦しみそしてそれから逃れようとしながら生きていくものなのですね。

苦しい時の神頼みとはよく言ったもので、
その苦しみからの救いを求めて信仰が
生まれ、宗教が発達してきたのだと思います。
日々の生活の中で何気なく見過ごしてしまいそうなことも何かのきっかけでふと心にとまり、
自分事としてとらえ深く思いをいたす、その
ようなもののように思います。

そのような人類何千年の歴史の中で、
本当に数多くの芸術も生み出されて来ました。
ここに掲載した絵もそのようなものの一つで
受胎告知を現した宗教画の初期のものです。
当初は文字を読めない人へ、キリスト教の
内容を伝える役目を果たしていたそうです。
本当に数多くの画家により、たくさんの
宗教画が生み出されて来ました。その多くは
教会の建物の内部に飾られていました。
以前にも書きましたが、その絵画として教会内部に飾られてきたモチーフをガウディは教会外部の
壁面に彫刻として飾ったわけです。教会の内部は森をイメージして作られているとのこと。いわば
外側も内側も教会丸ごとが作品というわけです。
そして、ガウディ自身が唯一完成させたのが
生誕のファサードでした。繰り返しになりますが
よくこんなに途方もないものを作り出そうと
考えついたものです。彼の信仰がどれほど深いものであったのかと改めて思わざるをえません。



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