夫婦二人で考える、これからのキャリアのかたち
先日、こちらの本を読みました。
著者の海老原氏はこの書籍の中で、「誰もがキャリアの階段を登らせられる日本型の雇用システムが、実は女性の社会進出を阻んでいる」ことを喝破しています。
それを支えてしまう雇用システムを維持してきた背景について、氏はこのように解説しています。
①女性にも色濃く性別役割が残り、家事育児の過重負担を引き受けている
➁全員がキャリアアップしなければ「ならない」社会構造のため、途中で脱落が許されない。脱落した場合は非正規、失業する場合が多い
➂男性は主たる家計の担い手で「なければならない」という社会通念があり、それを前提に賃金が設計されてしまっているため、男性がキャリアの階段を降りることがむずかしい
詳しくは本を読んでいただければと思いますが、おおむね私も氏の指摘に同感です。
1)「男性が主たる家計の担い手でなければならない」という呪縛
ところで、今回はこの指摘の中の「男性が主たる家計の担い手でなければならない」という呪縛について書いていきたいと思います。
これは昨年の東洋経済の記事ですが、こちらによると、結婚相手に重視したい条件として「経済力」を上げる方は男性21.1%、女性で65.6%。また「相手の仕事の内容や会社」を上げる方は男性で18.6%、女性で42.4%に登りました。
また、結婚相手に希望する最低年収額をたずねたところ、本人の年収が高いほど結婚相手に希望する最低年収額も高くなっていることが同意識調査から分かっています。
しかし、なぜこのようなことが起こるのでしょうか?
2)自分の夫を「旦那」「主人」と呼ぶ文化の背景にあるもの
女性が自分の配偶者のことを友人などに話すとき、指示代名詞として遣われがちな「旦那」。「うちのダンナがさあ~」「うちの主人はね…」と話し出すとき、妻である女性は特に深い意図なくこの言葉を遣っておられるものと思います。
が、実はこれらの言葉が男性配偶者を指すようになったのは近年のこと。大正時代、「主婦」という概念が登場してからのことなのです。
「旦那」は「お布施」と訳されるサンスクリット語「ダーナ」が語源と言われています。元々のダーナの意味は「与える」「施す」。転じてパトロンという意味が強くなり、江戸時代には雇用主のことを「旦那様」、その跡継ぎを「若旦那様」と呼ぶようになりました。
また、「主人」も同様です。もともとは「雇い主」を指す言葉であり、配偶者のことを指す言葉ではなかったのです。
これらの言葉が男性配偶者を指すようになったのは、主に男性のみが稼ぎ手として働き、女性が家事労働を行うという一種の分業が確立したことによります。
こちらの記事によると、大正6年の雑誌『主婦之友』のアンケートには既に「他人に対して夫のことを主人と呼ぶ」という回答が寄せられていることが分かります。以下、そのような呼び方を許容した時代の背景を説明している記事内の文章を引用します。
財産はないが、家族を養える安定収入を持つ人たちの層は、それまでの日本にはなかった。仕事は持たないが、大勢の使用人に家事を任せられるほどではない中流生活を送る女性たちが、この雑誌の誕生によって、自分を「主婦」だと自覚し、この言葉が広まった
『主婦之友』の発行部数が伸びた戦前、女性の法的な権利がほとんど認められていなかったことにも要因があると思われる。明治民法のもとで、結婚した女性は法的に無能力者として扱われた。仕事を持つなど経済活動をするには夫の許可が必要で、自分の財産管理もできない。子供の親権を持つこともできないと、ないないづくしだった
つまり、この「主婦」の台頭が、配偶者をして自分の主であるという意識を生み、雇用主という意味のある「主人」「旦那」が男性配偶者を指すように意味が変容したのです。
3)女性が未だ男性の経済力を当てにしないといけない理由
ですが、現在、先人たちの努力の甲斐あって、私たちは(少なくとも表向きには)女性であることのハンデを法的に負わされることはありません。日本に住む日本国籍を持つ女性である私たちは、参政権も被参政権もあるし、就労するにあたっても、女性であるということを理由に門戸を閉じられはしません。……少なくとも、表向きには。
「少なくとも表向きには」というかっこ書きがついてしまうのは、一つには先に海老原氏の指摘としてあげたような「男性が主たる家計の担い手でなければならない」という社会通念があるからです。
私が人事評価制度構築や運用に関与している企業においても、残念ながら男女の賃金テーブルが異なる企業は沢山目にしています。あるところまでは同じなのに、当然のように、一定年齢を境に男女で分岐してしまう賃金制度の設計をしている企業は本当に多いのです。
もちろん、それを明文化している企業はさほどありません。ですが、経営者の一存で給与を決めている場合に、無意識に女性より男性の方が給与を高く設定してしまう、というケースを数多く見、その事実を指摘すると、経営者の方は決まってこう言うのです。
「だって、男性は家族を養わなきゃならないじゃないか。」
これが、私には大いなる不幸の基のように思えるのです。
男性が家族を養わないといけないと経営者が考えるから、男性の給与を相対的にあげる。
その結果、同社で同程度の仕事をしている女性の給与は相対的に下がることになる。
同程度の仕事で給与を押さえられると、女性の会社へのロイヤリティが低下する。
女性の会社でのロイヤリティが低下すると、その会社でのキャリアアップを望まなくなり、それより家庭(家事、育児、介護など)を重視するようになる。
家庭を重視した結果、更に会社へのロイヤリティが低下し、生産性が下がり、与えられる報酬程度あるいはそれ以下の仕事しかしなくなる。
その結果、更に報酬が下がるため、男性の給与に依存して生活をする必要が高まる。
これは乱暴に因果関係をまとめたものですが、こうした側面があることは否定できないのではないでしょうか。
また、この因果関係は同時に次のような面も持つことになります。
男性の給与に対する家族のニーズに答えるために働き続けなければならず、キャリアの階段を降りることが許されない。
キャリアの階段を登り続けるためには、自分の意向・価値観より企業の意向・価値観を優先しなければならない。
安定した給与を家庭に与え続けなければならないために、「立ち止まって休む」ことを許されない。そのため、仕事と家庭でのバランスを取ることが不可能になる。
これは、本当に辛い事実です。
4)夫婦二人で考える、これからのキャリアのかたち
この不幸を回避するには、女性自身も自分のキャリアを自覚的に考え、見つめなおすことです。
自分の働き方として、給与は補助的でもいい、家庭を重視したいという女性もおられるでしょう。それは決して否定されるべきことではありません。それが自覚的に得た答えなら、第三者が何を言おうとも全く問題にはなりません。
ただし、それをパートナーである夫が受け入れるかはまた別な話です。
もし夫がキャリアの階段を登ることを何らかの理由で諦める必要が出てきたときに、それを受け入れることができるか。それが出来ないのならば、自分の給与だけで家計を維持することを選べるか。
家庭というチームを運営するうえで、これはとても大事な視点なのではないでしょうか。
逆もしかりで、女性がキャリアの階段を上がろうとし、男性もそれを認めたとき、そこには同じ程度に仕事と家庭の責任が発生しています。
女性ばかりに家事や育児、介護を任せていてはいけないのです。当事者性をもって自分の仕事と家庭を両立させる必要があるのは何も女性に限った話ではありません。夫婦二人ともにキャリアの階段を登るのなら、それに見合った家庭への負担を男性も負うべきです。
夫婦は、身近で最小のチームです。
チームメンバーである夫婦がきちんとお互いのキャリアを認め合い、自覚的に積み上げていくのが理想的なあり方なのではないでしょうか。
そのために、まず夫婦ふたりがどのようにお互いのキャリアを積み上げていくのか、ぜひ話し合っていただけたらと思います。