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テレ東コンプレックス

一時期アニメがマイブームだった。

20代前半、地元の友人が就職や転勤で県外へ出て自分だけひとり広島という状態になったのがきっかけだ。

ある日いつも寄るコンビニの隣にあるレンタルビデオ屋へなんとなく入ってみた。「旧作10本で1000円」だったかな、そんな価格のセット料金がポップで掲示されていて、どうせレンタルするならセットで借りようと思った。ならばシリーズ物がいいなと大体の人なら欧米ドラマシリーズコーナーに行くのかもしれないが、私はアニメコーナーへと向かった。

中学生の時「新世紀エヴァンゲリオン」にドップリハマった私はアニメを久々に観たくなったのだ。当時は綾波レイが大好きで夢に出てくるくらい夢中だった。そのせいか今でも”綾野剛”の文字を見ると綾波レイを思い出すくらいだ。綾に反応してしまうらしい。不思議なことに"綾瀬はるか"では思い出さなかった。彼女は同郷なのが理由か?(広島出身)

そんな私がレンタルビデオに通う日々が続き「ベターマン」「無限のリヴァイアス」「スクライド」と名作と呼ばれるアニメを観続けた。仕事帰りに借りて深夜まで観る。当時はまだまだVHSが主流で見終えたテープを巻き戻して返すのが面倒だったけど、この生活が心地良かった。

そしてふとある事に気付く。

「このアニメって広島で放送してたのかな?」

現金一括、ソフマップで購入したSOTECのノートパソコンで検索してみる。

答えは否。放送していない。さっき挙げた作品は「テレビ東京系」で放送されたものだった。そう、広島はテレビ東京系が観れない。政令指定都市でありながらテレビ東京系のテレビ局がないのだ。うすうす感じていたがやっぱりそうか。

1979年(昭和54年)4月1日に岡山・香川両県の民放テレビ放送の相互乗り入れが実現した頃と前後して、岡山県と同程度の経済規模だった熊本県と鹿児島県にて第3のテレビ局が次々と設立されたのに対し、岡山県内でも「当県にも第3の民放テレビ局を開局させたい」と言う機運が高まった。既に岡山本社の山陽放送(RSK)・岡山放送(OHK)、高松本社の西日本放送(RNC)・瀬戸内海放送(KSB)の合計4局が視聴出来たことから、話し合いや調整の結果、両県としては5番目となる本局が開局する運びとなり、思わぬ形で民放テレビの5大ネットワークを完成させる事になった。
岡山の老鋪地元紙・山陽新聞は、山陽放送の筆頭株主の岡山県に次ぐ第2位の株主で、同社にニュース配信を実施するなどの連携があったが、当局開局までは関連のテレビ局を持っていなかった。 Wikipediaより

香川との距離も近く電波も乗り入れ可能だった為、岡山・香川でタッグを組んで開局したようだ。異例中の異例だ。まさに瀬戸大橋で結ばれた絆。テレビせとうちの名に相応しい。そして羨ましい。そして悔しい!(無駄に韻を踏んでしまった)

なんで広島で観れないんだyo!!

それからアニメのことはそっちのけでテレビせとうちのことを検索しまくった。どうやら私と同じ様に広島でテレビ東京系列が観れないことに不満を持っている人が多くいることも分かったし静岡や宮城もテレ東系が観れなくて不満があることも分かった。

「裏技を使えば隣県のテレビ放送が観れる!」みたいなラジオライフにありそうな眉唾ネタもしっかり実践してしっかり失敗した。もはやアニメが観たいのではなく、テレビせとうちを受信したくなっていたのに当時の私は気付いてなかった。もうこれは「テレ東コンプレックス」だ。今私が命名した。BE MY BABYだ。

結局この話、スカパーでアニメ専門チャンネルを契約してなんとなく収まるのだが、それでも心の何処かにはコンプレックスは残ったままだった。

なぜ今この話をするのかというと、先日の岡山旅行でカプセルサウナへ泊った時、個室のTVで流れていたのが「テレビせとうち」だったからだ。その放送をサウナ上がりのおっさんになった私が当時を思い出しながらボーっと眺めていた。

どこか広島は中四国地方でいちばんの都市で他よりも勝っていて多くを持ってると思い込んでたけど、そんなことはなかった。テレビせとうちのケースみたいに岡山・香川ペアでタッグを組んだらテレビ開局のような偉業もできる。アニメからはじまったこの話は隣県を見直すキッカケをくれたのだった。

さっき知ったんですが岡山さん。東京のアンテナショップはなぜか鳥取と合同で出店しているみたいですね。そこは香川と組もうぜと思ったことをここに記しておきます。

 いろいろ書いてますが私は岡山大好きです。ママカリとサワラ丼最高!

おしまい


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