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助田正樹の自己紹介(2024年10月版)

こんにちは。助田です。

1976年生まれです。もうすぐ2024年も終わりが見え隠れする10月中旬、あいかわらず半袖短パンで生活できるくらいの奇妙な気候ですが、みなさんいかがおすごしでしょうか?

法人2期目の決算情報もまとめあげつつ、新しい期もすでに2週間が経過しようとしている今日このごろですが、なかなか気持ちが新鮮に切り替わっていかないのもあり、ちょっと手が空いてきたのもありなため、高松パイセンの自己紹介ポストを参考にして、自らの半生を振って恥ずかしげもなく晒して、共感頂いた方に向けてZoomで壁打ちしません?のアピールをしてみようと思います。

先日、社団の個人会員でもある伊東さんが東京に来た際に、🍻飲みながら半生振り返りのインタビュー的なことをしていただいた機会がありまして、話しながらおぼろげに記憶が蘇ってみた経緯もあり、これを機会に自分の原点などを探ってみたいなとも思ったりして。

今後やりたいと言っていることをやっていきたい「なぜ」が、こちらのポストを見ていただいた方々に少しでもご理解いただけますように。と。

合意しにくいキーワードも入るエムグラム診断

#友達 #サッカー #キャプテン という義務教育+時代

小中時代は記憶薄めな感じではありますが、野球から始まり、後半はサッカーと友達との遊びや銭湯めぐりに明け暮れた日々。不思議とキャプテンやら代表を任されがちだった少年です。

高校は正直、自分にとっては「暗黒時代」と申しますかモノクロの時代。自分も周りも受かるんじゃんと思われた本命の都立高校の受験に落ちて、神田駅から私立の男子校にトボトボ通いつつ卒業がガチで待ち遠しかった3年間。

#友達 #サークル #DJ という彩り大学時代

モノクロの時代に頑張って得た「総合学力順位が学年2位」という看板を引っ提げて挑んだ大学受験は「滑り止めなし」の無謀と、試験で毎回お腹が痛くなるくらい本番に弱い体質の結果、一浪を経て桜美林大学になんとか大学生になる。全滅現役の時に「もう専門学校でいいよ」という弱音に「大学は行っとけ!一生の友達ができる。」と背中を推してくれた親にHIPHOPばりに感謝。

男子校という重い鎖から解き放たれて、🍻飲み倒す&🚬吸い倒す&🎤遊び倒す金欠エンジョイ系大学生。3年のときに早々に就活宣言して実行するも書類落ちまくり、面接落ちまくり、地元・ネジ工場の営業職に落ちたのがトリガーで早々に就活戦線から離脱を発表。その後、4年生の1年間はクラブイベントをオーガナイズするサークル(今年で25周年!)を作って、最後の最後まで大学生活にすがって楽しみ尽くす。

2005年までのインターネット業界前時代

職なしで卒業後、某・音楽映像メディア系物流企業でパワハラをお腹いっぱい喰らい10円ハゲができつつブラック環境のバイトで残業代を稼ぎまくってみたり、パワポ職人に成り上がった紹介予定派遣をやってみたり、レコード買い集めてDJやってみたりと20代中盤は俗に言う「ふらふらしてた」期間。

爺(和装小物店主)も父(個人タクシー)も独立といえば独立じゃんね!という浅はかな理由を引っ提げて30歳で起業する!といったん志してみる。毎週ガイアの夜明け、カンブリア宮殿からのWBS(ワールドビジネスサテライトの方)を見てはビジネスモデルを図式化して自己学習し、これからはインターネットの時代や!と業界への転職を目指す。

2005年から2012年までのインターネット業界移民時代

2005年に念願のインターネット業界に入り込めてからの7年間で「ディレクター」という肩書がメインではありつつも、モバイル広告系ベンチャー、IMJMグループ開発系ベンチャー、YAMANOグループ系ベンチャー、名古屋デザイン系ベンチャー、マザーズ上場(当時)不動産系IT事業会社など所属会社と契約形態が数年で入れ替わりまくるという、親の心配が追いつかないスピード感で目まぐるしい変化の移民時代。一度目の結婚もこの終盤の頃。

悩みの相談相手不足、経験不足、実力不足などが重なりトラウマ級のデスマを喰らい、夢に見てたインターネット業界からフルボッコにされて、結果的に2012年にはWebディレクターとして再起不能となる。

ようやく起業!からスピード解散の経営者フェーズ1

起業時代は大きく3つあるフェーズの1つめ。

不動産系IT事業会社でそこそこたくさんお給料&賞与をいただいたため、2010年に知人と合同会社を設立。その勢いでIT系の株式会社も設立するが、はっきり言って勢い任せの経営ド素人でいずれも撃沈&スピード解散。

当時SEO関連でいくつも会社やってるはじめましての有名経営者にmixi経由でアポイント取って会食の合間に時間もらってベロベロなところ1on1してもらったり、知人の経営者にお金を出してもらったりの応援も活かしきれず、人生2度目のフリーランスに舞い戻る。

Webディレクターの環境を変えたい!の経営者フェーズ2

ライスワークでイヤイヤ継続してたWebディレクションも、Webディレクターで業界をのし上がることを諦めて「コワーキング」に活路をミイダス2011年。PL握りしめて何人か壁打ちしてくれた内の経営者1人がコワーキング+人材紹介業の事業を一緒にやらない?って提案をしてくれて2012年に3社目の起業。

2013年ごろに中途の人材紹介事業を立ち上げると共に、ボコボコにされたWebディレクター経験でだいぶ苦しんだからめちゃ力入るし、やっぱ職種経験者が人材エージェントをやるべきじゃね、とWebディレクターに特化した形でスタート。

同時期に日本ディレクション協会(ディレ協)の前身となる任意団体&コミュニティ活動をスタート。日に日に増えるはじめましてのディレクターたちと増えるfacebookが楽しすぎてやや調子に乗る。その後、ディレ協を社団化で二足のわらじ。一方で仕事や活動に時間を使いすぎて一度目の離婚を経験。で猛省。

IT界隈の人材不足にちょっとだけ貢献したい!の経営者フェーズ3

再婚とかいろいろなタイミングもあって2020年にイノセンティブ&2021年にディレ協を卒業。視点をWebディレクター周辺のみならず、エージェント時代に散々耳にした「インターネット界隈の人材不足」というテーマに拡張してエージェント歴約8年、コミュニティ運用歴約8年の経験、人脈すべてを企業支援向けにシフトする。

人生3度目のフリーランス(SPEC.)で企業側の採用支援、人材紹介業のマーケティング支援、手を動かす系の顧問業などコロナニモマケズ、リモートワークの環境を整えて踏ん張りながら頑張る。一時期は暇すぎてドラクエ10の進捗のみが捗りまくる。

その流れで税金&子どもの社会保険など鑑みて法人成り。株式会社じゃなく一般社団法人のなぜ?は、雇用しない拡大しないし、専門性を出しやすいし、やりたい事業が固まっていないという理由から。

あとはできるだけ優秀な人と仕事がしたいと思うので、一番ライトなお付き合いが作りやすい「副業枠」を有効活用しており、プロジェクト毎に専門性が高い人にアサインを(心理的に)相談しやすいのが社団法人のやりやすさなのかも。発注側からは社団法人?非営利?など分かりづらいデメリットもありますが..

改めて振り返ってみると

まず20代の時にずっとやってみたかった「起業」ですが、2010年から継続してみて、苦々しい経験もそうだし、それなりに楽しかった経験や、結果的に迷惑もかけながらも人のつながりが増えたことなど、やっぱ起業して良かったなと思っています。

またディレクターという職業をなし崩し的に経験した(させられた?)ことで勝手に身についた「ディレクション」も、HR領域の事業開発や事業推進、オペレーション、プロジェクト推進や会社経営全般などに横展開フル活用できていたりと、今や自分の貴重すぎるベーススキルと化しました。ディレクター経験者はWebだけじゃなく、事業や人材の課題に向き合う、ってか寄り添うキャリアもいいんじゃないか派です。

経営者ってその時やりたいことがあったから会社を立ち上げたわけで、おこがましいけど、可能な限りやりたいことをやりたいようにやり続けてほしいと思うのと、やりたいことを広げたり、続けたりする上で利益が必要になり、仲間が必要になり、あっという間に課題が山盛りになるので、「人に関する課題」にはちょっとだけでも解決に近づく経験、アイディアなど自分で持ってるものはフル活用して、可能な限りお力添えしたいなと思ったりします。

その結果、携わった企業がちょっとでも元気になって、次世代のエースが生まれたりして、増えたメンバーで次に新しいことを一緒にやろうぜって居酒屋で会話できることが個人的な喜びですし、フルボッコにされながらもだいぶ成長させてもらったインターネット業界へのちょっとした貢献になるやも、と思ったりしてます。

今後ますます人不足が加速的に進行していくインターネット業界かと存じますが、採用企業向けにきちんと採用できる仕組みづくりを提案するとともに、短期的な人不足の対応、社内メンバーが離れてしまわない予防線と仕組みづくり、仮にいなくなってしまった時のプランBの選択肢を広げる活動を人材系企業のご協力も得つつ、もう少しだけ広げていきたいなと。

今は企業の課題を聞くことに飢えている状態なので、インターネット関連企業の募集枠がなかなか埋まらないなど採用がうまくいっていない課題の壁打ちや、人材系企業の売上、集客が伸び悩んでいる課題の壁打ちも気軽にウェルカムしてます!

待ってろ今から本気出す。
#一般社団法人ディレクションサポート協会

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