家族が縦軸、横軸で紡ぐ物語を言語化するのが家族支援
虐待通報されている夫婦がいる。
田舎から出てきた20代夫婦と子どもの三人生活。
妻が育児のストレスから子を叩いてしまっているとのこと。
児童相談所や関係機関が協議して、子を保護したり、面談を繰り返す中、
今後の対策が練られる。
自分も相談支援専門員として妻側の支援者で呼ばれた。
妻と何度か面談をしている。
妻の出身家族のことを聞いた。
妻の父は暴力を振るってきたことが話された。
早く家から出たかったのもあり、男性に頼りたい気持ちもあったことから、高校生の時から付き合っていた彼氏をパートナーを選んだ。
その時に、誓ったであろう。今のような家族にはしたくないと。
しかし、そんな自分が暴力をふるうとは思いもしなかった。
変わりたいと思って新しい家族を作ったが、出身家族から持ち越した課題で苦しんでいる。
ジェノグラムを一緒に作成しながら、話し合いを重ねる。
虐待現象は上の世代から繰り返すというが、そこには本人の「変わりたい」という意思があった。
そんな中、二度目の暴力。
それは子ではなく、夫に向かった。
深夜の些細な口論が大きな喧嘩になり、手がでた。
そして、夫が警察を呼んだのだ。
警官10名くらいが駆け付け、深夜の大騒動になった。
署で事情を聴かれた反省しきりの妻を、明け方、田舎から出てきた両親が引き受けに来た。
両親は「今度からなにかあったら隣町に住んでいる叔母に頼るとよい」と言って、それまで連絡を取っていなかった叔母とつなげてくれた。
今はその叔母も子どもを連れて遊びに来るという。
当人たちはこの騒ぎに対して反省しきりだったが、結果、孤独だった若い夫婦が上の世代の協力を得て、段々とつながりを回復させていっている。
実家から家出して結婚し、交流がなかった実家の両親が登場するには、警察沙汰になる必要があったのだ。
呼び出しがなければ来ることはなかっただろう。
必然的なトラブルというのは人生にはたびたび起きる。
雨降って地固まるというが、地が固まりそうな時に、雨が降るとも言える。
雨ごいの常套手段だ。めぐりあわせもきっとそういう仕組みなのではないかと思う。
私はこの話の顛末を聞いて、親孝行だなあと思った。
暴力を用いて家族を営んでいた上世代の子どもが新たな家族を作り、
迷惑をかけたと反省しているものの、
結果として、その上世代に手を差し伸べるチャンスを与えている。
家族はその課題を次の世代が引き継ぎつつ、新たな課題として取り組む。
つくづく家族というのは、
今いる家族構成員の横軸だけではなく、上世代からの縦軸で物語を紡いている、不思議な有機体だなあと思うのだ。
支援者はその流れに介入して余計なことをしないようにしないといけない。
そばにいて、その物語を言語化し見守ること。
それが他人ができることとの境界線だと思うのだ。