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Ultra-Trail Mt.Fujiを走り終えて・・・

去年のGWはSNSを見るのも嫌なくらい、絶望していた

2022年3月の東京マラソンをこれまでのベストから20分以上更新する3時間10分で完走し、万全な状態でUTMFに臨むつもりだった。

しかし・・・
大会の2週間前にコロナ罹患。10日間の自宅療養期間が明けて2日後には前日受付の山梨にある富士急ハイランドへ向かい、その翌日スタート。
結果は火を見るより明らかで、前半の登りから体は重く、心拍は常に高く、何より咳が止まらなかった。自分を騙し騙し、そしてサポートしてくれている仲間に報いるためにもと一歩一歩進んだが、次第に咳が酷くなり、高止まりした心拍により体を前に進めることもできなくなり、130km地点の二重曲峠エイドでリタイア申告をした。

2022年96km地点の富士急エイドで約1時間の仮眠を含めた休憩中


本来は無事にゴールした仲間を讃え、一緒に祝うべきだったが、そんな気持ちには一切
なれなかった。1ヶ月くらいはSNSという存在が苦痛でしかなかった。
リタイアしたその日から、1年後のUTMFが再び目標となった。5月には気持ちを切り替えて、その次の目標に向かうべく走り出した。

そしてようやく2023年のUltra-Trail Mt.Fuji当日を迎えた

2023年スタート前地元ランニングクラブのメンバーと

ここでUltra-Trail Mt.Fujiについて簡単に説明しておきます。(以降FUJI)
距離約165km、全工程の山を登った標高を足す累積標高約7,500m、制限時間は45時間の日本最大規模のトレイルランニングの大会です。

この大会に参加するにはエントリー開始の2年前までの3大会でITRAポイント10ptを保持している必要があるなど、基本的には100km超のトレイルランニングレースの完走経験者でないとエントリーすらできない大会となっています。(ポイントによっては70kmの大会2本+αでも可能)

昨年のこの大会をリタイアしていた私は、このエントリー資格を満たすために9月の信越五岳トレイルランニングレース110kmにエントリーを決め、完走したことでようやくエントリー資格を満たすことができました。

前半は暑さとの戦い、そして脱水

スタートは4月21日(金)14:45。静岡県御殿場市の当日の最高気温は22度。
その気温は夜になってもそこまで下がることなく、多くの選手を苦しめることになりました。
第2waveスタートの私は、1kmあたり6分程度のペースで22km地点の最初のエイドステーション富士宮エイドに到着。ここから最初の難所、天子山塊への登りが始まります。次のエイドステーションまで約30km、標高差約800mを天子ケ岳頂上まで登り、そこから稜線上を長者ヶ岳、天狗岳、熊森山と登り、そこからまた麓エイドステーションまで約800mを一気に下るコースプロファイル。
序盤そこまで気にしていなかった水分がここにきて十分でないことに気が付きます。火が沈んでも17ー18度近い気温の中、30km弱を水分1Lという判断が間違っていました。手持ちの水分はみるみるなくなり、残り10kmを切った時点で僅かに口に含むことができる量しか残っていませんでした。
しかし、まだまだ体力もあったことから、なんとか2つ目のエイドステーションの麓に辿り着き、ここで友人のサポートを受けることができました。

50kmを走ってまだまだ元気

飲んでも飲んでも喉が渇く・・・

2つ目のエイドステーション麓では富士宮焼きそばを食べ、メイバランス、OS-1を飲み、しっかり補給をしたつもりだった。
でも、天子山塊を超える上で水分摂取を失敗したことでこの後の区間は脱水の症状が如実に出て、手持ちの水分を飲んでも飲んでも喉が渇いて、パワーが出ない状況がしばらく続いた。
なんとか喉の渇きを騙し騙し走り、3つ目のエイドステーションの本栖湖エイドでは水をガブ飲みした。ここでかなり回復ができたし、身延まんじゅうをエイドで配ってくれていたのはなんと、レジェンド石川弘樹さんだった。

この大会唯一自分のスマホで撮った写真

本栖湖から精進湖までのトレイルは過去2回の参加で比較的好調に走れていた区間ではあったのだけど、この頃からシューズのヒールカップがくるぶしに当たって痛みが出始めていたため、特に下りでは痛みでペースを落とさざるを得ない状況になってきていた。

一晩目の夜が明けた精進湖エイドステーション

富士の樹海を抜けるとサポートが受けられる4つ目のエイドステーション精進湖エイドに明け方前に到着した。
ここからはしばらくロードの登りが続くコース。くるぶしの痛みが増していたのにも関わらず、HOKAのチャレンジャー7の走行性にこだわり、ここでもシューズを交換しなかったのが後々完全に裏目に出てしまった。

一晩目を越えてまだまだ元気

ここから次の富士急エイドステーションまでは23km。しかも昨年もここで大苦戦して、ヘロヘロになって6時間もかけてしまった区間。苦手意識だけが残っていた。
とは言え、昨年はコロナ罹患明けの状態だったこともあり、序盤のロードは黙々と走る。そこからトレイルに入り、永遠同じような景色が続く紅葉台へと続く。

くるぶしの痛みはここで限界を迎える・・・
痛み止めを飲むのは最後の手段だと考えていて、ここまで痛みを我慢してきたけど、1歩着地するたびに激痛が走った。足を止め、ザックの中から1錠ロキソニンを取り出す。水で流し込み、3分ほど待って走り出す。
痛みは全く感じなかった。それどころか、これまで痛みで走れなかったぶん、脚を使っていなかったこともあり、苦手なこの区間の残りをほぼ走って富士急エイドまで行くことができた!ロキソニンの効果、恐るべし・・・

96km走ってきても食欲はアリ!

まだまだ中盤戦

富士急エイドでようやくシューズを交換。今回はHOKAのチャレンジャー7、スピードゴード5、アルトラのモンブランの3足を準備していたけど、一番ヒールカップの薄いくるぶしに優しそうなモンブランをチョイス。

ここから距離は100kmを越えてくるので蕎麦に甘酒、メイバランスなどしっかり補給。
でも今回大量投入するつもりだったカロリーメイトは喉を通らず、ほとんど摂れていなかった。

富士急エイドを出発!残りは70km

次のエイドは忍野エイドステーション。サポートが可能な山中湖きららのエイドステーションはその次のエイドとなる。そこまでくると残りようやく40km。

内臓の疲労はじわりじわりと

金曜の14:45にスタートし、丸1日走り続けていることになる。
その中で前半は脱水に苦しみ、中盤は足の痛み。少しずつ疲労が色々な箇所に出てくる。ここで選択を誤ってしまったのが、カフェインピル。眠気対策で今回初めて導入したのが失敗だった・・・1錠飲んだ途端・・・胃がムカムカ、そして吐き気。。。
忍野から山中湖きららまでの区間はほぼ補給を取ることができなかった。そのため、登りはヘロヘロ。とりあえず胃には何も入れずに、今ある胃の内容物を消化することだけを考えた。
登りはひたすら歩き。前回は山中湖きらら手前の山の登りで、夢を見ながら走っていた。とはいえ、この区間、計画からはそこまで遅れることなく山中湖きららに到着することができた。

ラストのサポートエイド山中湖きらら

山中湖きららのエイドステーションは124km地点となる。残すはフルマラソン1本分。
そしてスタートから支えてくれたサポートもここが最後となり、サポートメンバーと再開できるのは次はゴールのみとなる。

そして、ここからがULTRA-TRAIL Mt.FUJIの各心部、本丸といっても良い部分となる。標高1598mの杓子山、そして最後の最後に700m近い登りのあるラスボスの霜山。
去年はコロナ罹患から咳が治らない状態でスタートし、杓子山手前のエイドステーション二重曲峠エイドで咳が止まらなくなり、無念のDNF。
まずは去年の自分を越えるために、二重曲峠を目指します。

サポートメンバーと次に会うのはゴールの富士急

夜に備えてロングパンツとジャケット、ビーニーにヘッドライトを装着して山中湖を出発。エイドを出るとすぐに明神山の登りが始まる。この日4/22(土)は薄曇りで残念ながら富士山は見えなかったが天気の良い日は本当に絶景!!

今年1月の試走の際の景色

ここから二重曲峠のエイドまでひたすらアップダウンが続き、心を折られそうになる。途中ロープを使わないと登りきれないような急斜面を登る箇所もある。石割山の頂上手前を右手に折れて2kmほど下るとようやく二重曲峠のエイドステーションが見えてるくる。ようやく、、、138km走ってようやく去年の自分に辿り着いた。
気温はかなり下がってきていたので、ここで飲んだ具なしの味噌汁が美味しかった以上に身に沁みた。
すでにニ晩目の夜を迎えていたこともあり、椅子に座って5分だけ目を閉じた。

最後の戦い

残すは杓子山と霜山。距離にして約27km。
二重曲峠エイドを出ると、すぐに登りが始まります。
杓子山の登りはほとんどが岩場をよじ登る、ロッククライミングに近い感じ。
横に目をやると、ふっと夜の闇に吸い込まれそうな断崖が・・・

真夜中の杓子山山頂

二晩目の魔物

実はこの山の登りでずっと幻覚を見ていました。
最初は他のランナーの照らすヘッドライトがカーブミラーのようなものに反射しているように見えました。登っているうちに、カーブミラーではなく山の中に大きな鏡があるように見えてきました。よく見ると鏡には何かが写っている・・・
しかし登れど登れどその鏡は近づいてきません。そのうち、「あれは鏡ではなくて窓ガラスだ!」と思い始めました。よく見ると、窓ガラスの向こうには人がいて、みんな働いていました。「そうか、もう少し登るとビルがあるような場所に出るのか・・・」

もちろんここは標高1000mを越える山の中。ビルがあって真夜中に働いている人なんているわけないんです。しばらくして、自分が幻覚の中をひたすら山を登っていることに気がつきました。

杓子山を越えると、一気に下りになり、最後のエイドステーション富士吉田エイドまであとわずかに。しかし眠気は限界。ふらつきながら林道を走りました。
やはり二晩しかも、極限状態にある中で走り始めて35時間以上、、眠気も限界でした。

富士吉田エイドでは吉田うどんを食べ、仮眠所で15分間だけ横になり眠りに落ちました。携帯の目覚ましで重い体を起こし、ラスボス霜山へ向かいました。

杓子山山頂から見た富士吉田の夜景

最後は爆走!

最後の登り霜山を登り始めると、ようやく二晩目の夜が明けてきました。
もうここまできたら、最後は楽しむだけ!
ここまでの160kmを振り返って、あと5kmでこの長い長い旅も終わるのかと、嬉しいような寂しいような思いに駆られました。

最後の下りに入った時に、それまで何度か飲んでいたロキソニンの効果が切れてしまったのか激しいくるぶしの痛みが・・・最後のロキソニンを飲み、痛みが消えるのを待って下りは爆走!多分、序盤の下りよりも速いくらいのペースで下り切って、富士急ハイランド手前のロードに。

ここまで40時間。距離も時間も自身最長。
目指したタイムは32時間で、そこから8時間以上も遅かったけど、なんとか辿り着いたゴール。
不覚にもゴールの前に涙してしまった。それは2019年初めてUTMFに出た時からサポートを引き受けてくれた友人カン。そこから2020年、2021年の中止を経て出た2022年の大会では途中リタイア、ようやくずっと支えてくれたカンと一緒にゴールができる、彼のサポートに報いることができると思ったらゴールする前に大粒の涙が溢れてしまった・・・

そして・・・

40時間を越える長い旅の終わり・・・

ウルトラトレイルの最高なところは
最後はサポートメンバーや家族と一緒にゴールできるところ
一緒にゴールしたマイメンとサポートをしてくれたカン、キョーちゃん
長かったけどやり切った!
いつもキツイ練習を共にしている仲間と

やっぱり2019年から完走を目指して、ようやく達成できた100マイルの旅。
その距離以上に4年という歳月が長かった。

トレイルランニング界では100マイルを完走した人を、マイラーと呼ぶのですが、ようやく自分もそのマイラーの仲間入りをすることができました。

FINISHERベストを着て!

完走者にはメダルではなく、フィニッシャーベストというベストがもらえます。
実はこれ2019年大会は途中降雪中止だったのですが、途中まででも完走扱いになってベスト2着目なのですが、もちろん今回の物の方が段違いに嬉しい!!!

100マイル(165km)を走って・・・

よくフルマラソンを走ると人生観や世界が変わるよって言う人がいますが、私は何も変わらなかった。もちろんそれはフルマラソンを貶めているわけではないのだけれど、、でも100マイルには自分自身を変えてくれる何かが、そこにはある気がした。

それはただ単に2日間で165kmを走ったことではなく、そこに至るまでの4年間や、リタイヤしてからのトレーニングを積んだ1年間だったり、家族との時間を犠牲にしてまで練習の時間に充てて来たこと、お金もいくら使ったことか。。とにかく全てを注ぎ込んできたからこその完走だったと思います。

終わってみると165km色々あって楽しかったけど、やっぱりキツかったり、辛かったり、そういう時間は絶対あったけど、体力以上にメンタリティが向上したからと言うのも大きかったと思う。キツイ局面において、そこを越えられるのは、それ以上にキツイ練習をしてきたから。

たかが趣味ではあるけど、トレイルランニングは自分の人生を変えてくれた、より楽しいものにしてくれた最高の趣味だと思える。

今年てULTRA-TRAIL Mt.FUJIは卒業しようかと思っていたけど、やっぱりタイムには納得いっていないのでもしかしたら来年も出てしまうのかもな。。。
その前に今年は9月に信越五岳トレイルランニングレースという100マイルの大会に出ることを決めているので、次はそこに向けて体つくりとメンタルを作っていこうと思います。

今回はお仕事とは全然っ関係ない趣味のトレイルランニングのお話でしたが、どうしても文字に残しておきたいと思い、書かせていただきました。
次はちゃんとお仕事の話しっかり書きます!笑

最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

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