嫉妬・やっかみでクソリプ送ってくる人を脳内フルボッコする俺
たまには違った話を。
なんか、「SNSでしか私を知らない人」とリアルで初めて会った時に、「こんなに明るい人なんですね!」とか、「知性に合う話ができるかなって怖かったんです」「マジメを絵に描いたような人かと思ってました」としばしば言われるのだけど、そのたびに私は、「SNSではそういう風に見えるのだなあ」と改めて自他のイメージのズレに関心を抱き、自分の点検をする。以下は、そんな点検時のぼやき。
私自身の言動がつくるイメージもあれば、そもそも社会的なステレオタイプがあって、その文脈で勝手にイメージされるものが私への印象に混入することもある。
面倒だなと思う。でも、これはどうしようもない。
ただ、一つ言いたい。
これは、言いたい。
予防線を張りたい。
凄まじいレベルの期待値をかけて私を想像し、会って幻滅されることが限りなく少なくなるようあらかじめハードルを下げておこうと思う。それも本音の私、だし。
メンタルを維持するために私がしている儀式をお知らせする。
Twitterのフォロワーが1,000人を超えた頃からクソリプをもらうことが急に増えた。いや、正確にいうとフォロワーが0~500人くらいの時に創価学会員らから謎に敵視されてクソリプの雨あられを食らっていたのだけれど(それが虚偽に発展したので訴訟手続きをとった。非情としか思えないそのアカウントたちは「手続きします」と私がツイートした途端、蜘蛛の子を散らすように自アカを消去した。高慢ちきが急速にしぼむさまは漫画だった)、今は別のかたち、たとえば「うつ病を経験しているのに、金の亡者のようにビジネス漬けになってしまうなんて悲しいね、この人」「アラフォーにもなって意識高い系の学生みたいでイタイ」「コイツがフォローしてる人のなかに糞ネトウヨいるやん。コイツの知性も高が知れてる」といったものになってきている。私のことを誰がどう思おうが勝手なのでリプをもらっても無反応ではいる。が、滅多にないとはいえコンディションの影響か時折じわりと怒りがわくことがある。そういう時は、脳内で相手をフルボッコすることにしている。
その時、私はちょっと汚い言葉を使う。例をあげれば
「うるせえクズ。てめぇは所詮なにごともなしてない小者だろうが。『何ごともなしてないけど何かねーかな』って諦めきれずに不安定でいてちょっと出てきたヤツにやっかみ感情を抱き、そいつを攻撃してスッキリして『自分の小者さ』に目を閉ざすことしかできないんだろうが。だからこんな無名のライターにまでクソリプつけてくるんだろ? あ?」
こんな感じ。こうやって脳内にパルスを走らせると、気持ちが鎮まる。
どうだろうか。
悪趣味だろうか。
同じような人、いない?
いない?
「いない」なら、私に抱かれるあらかじめの期待値やイメージが下がると思うのだけれど、もしも、もしも割と「いる」のだとしたら、逆に「赤裸々なことをこんな風に書ける正木さんってやっぱり素敵ね!」なんてことにもなりかねないので、困るから教えてほしい。
まあ、そんな私である。