自分という個人はどこまで許されるか

こんにちは、マサキングです。

最近の悩みというか考えてる事。

人の価値観は一人一人違うし国によっても生活スタイルとか家庭の形も違う。

だからおのおの自分の属する国やコミュニティの中の、普通のライン付近にいたら安心して暮らせる基準になるんだろうな。

自由に好きな事をしてもいい境界線を決める決断を完全に自分の価値観や考え方で決定していいのか今すごい悩みどころではある。

こんな悩みすら日本という小さな島国の昔から続く習慣に沿った思考回路が固まってしまってるからだ。

でも日本に産まれて自我が固まるまでその文化、風習、民族性に染まったら頭では理解してても無意識な罪悪感が出てくるような。

僕は離婚を経験してて、子供は二人いたが母親のほうへ親権がいった。

そこで男一人、独身に戻ったわけで妻子持ちの自由がない男性からしたらある意味全て自由な僕は羨ましく思えるかもしれない。

実際僕も離婚前は離婚して自由になったように見える知人とかを羨ましく思ってた。

でもそんな気持ちは半分は嘘で本音では、

いいなぁとかいいながら内心で(まぁうちは絶対そんな事は無いけどねー)と思ってた。

ようするに他人の不幸を上辺では同情したり羨ましがったり、、

でも本音ではどこか相手を見下してる。

自分が離婚してみて、興味深々に僕に離婚理由とか聞いてくる周りの人を見て自分もそういう話を一種の娯楽のネタとして聞いてたなと思ったら嫌になった。

他人の不幸は蜜の味。

もうこれからはそんな寂しい気持ちが起きないようにもっと大きな心で何事にも接していこう。


それよりも一番の悩みはやはり子供の気持ちだ。

小学2年の娘は、パパッ子だったので

当たり前だけどすごく寂しがっていつも一緒にいたいと言う。

離婚当初こそ会わせてもらえなかったが今は週に一回は遊んでる。

でも普通なら毎日一緒にいるから寂しがる。

子供と一切会わせない人もいるからうちは恵まれてる方とかそんなことは子供には一切関係ない。

全部大人の勝手に決めた都合だ。

でもそこで悲観的になって悲劇の主人公になったらもう前には進めない。

だからそこはパッと開き直ってうちはうちなりのスタイルで行こうとは思う。

週に一回会ってるなら単身赴任とか海外出張とかが多い人より下手すると子供と接する時間は多いし(まぁ苦しい自己肯定ですけど)


とにかく過去は思い出でしかないし変えることが出来るのは今からの未来しかない。

今の自分があるのもそういった過去の失敗や後悔全て味わったからこそ今がある。

たとえタイムマシンに乗って別れる前の自分をどれだけ説得しても結果は同じ大丈夫と思う。

だから全ての出来事に、人に感謝して自分だけでなく周りも幸せに出来るようにこれからは生きていきます。

自分に正直に、思ったままに生きよ!!は子供がいるとちと難しい。

ここまで読んでくださりありがとうございました!








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