悪魔の「ブラボー実験」とは?
こんにちは。
「ブラボー」と聞けば、
W杯での長友選手の決め台詞として
注目されました。
今回、紹介する「ブラボー実験」は、
その真逆の、嘲罵されるべき実験です。
そして、日本人にも関わる歴史的な重大な事件なのです。
ブラボー実験
キャッスル作戦(Operation Castle)、
1954年にアメリカが現在のマーシャル諸島で行った
6回の核実験(水素爆弾実験)です。
その中の、一番最初の3月1日に行われたのが、
水爆(水素爆弾)「ブラボー」の実験なのです。
日本への被害
アメリカは、あらかじめ危険海域を設定して、
公表しており、安全な実験かと思われていました。
しかし、実験で使用された水爆は、かなりの威力であり、
危険海域を超えて、甚大な被害が出ています。
その中で、一番有名なのが、「第五福竜丸事件」です。
世界で初めて、日本の漁船が水爆に被曝したのです。
爆発に巻き込まれたのではなく、
爆発後の放射線降下物「死の灰」を浴び、
乗員23名全員が、被曝したのです。
第五福竜丸は緊急帰港(2週間を要した)し、
病院で、明らかな被曝した人と同様な症状が見られ、
被曝線量も異常値であり、「急性放射線症」として診断されました。
これは、大々的に新聞などで報道されていました。
被曝した9ヶ月後、無線長の久保山氏が死亡した際、
日本人医師団は、死因を「放射能症」と発表したが、
アメリカはそれを認めずに、日本政府側に圧力をかけたのです。
その後、日本人医師団は死因を
「輸血の結果感染したC型肝炎」であると
結果を変えたのです。
また、アメリカは、日本の反核運動が反米運動に変わることを恐れ、
アメリカは、日本政府と被爆者補償の交渉をします。
日本は復興のため、
アメリカ経済に依存せざるを得ない状況から、
日本政府は、アメリカの条件を全て飲むことになるのです。
交渉内容として「日本政府はアメリカ政府の責任を追及しない」として、
200万ドル(当時約7億2000万円)が「好意による見舞金」として
支払われました。
また、第五福竜丸以外の太平洋上で漁業をしていた漁船も
被曝していたのにも関わらず(水産省の開示文書によると1423隻)、
第五福竜丸の船員にだけ、見舞金として一人当たり200万円だけを支払ったのです。
もちろん、漁で得た魚も被曝しているため、
大量の魚を廃棄せざるを得ない状況や
放射能が感染するといった風評被害によって、
水産物が軒並み値段が付かない状況に陥りました。
現地の被害 「人体実験」だったのでは?
危険海域に含まれる住人に対して、
お菓子などの食料を配り、
島から追い出し、作戦を実行しました。
初期は、動物実験として、
家畜動物などを島に放し、
被曝後の血液や放射線量を測定するといった
今ではあり得ない動物実験を行う予定でした。
しかし、この実験は「人体実験ではないのか」と
疑問視されています。
なぜなら、一つの島であるロンゲラップ環礁の住人を
避難させていなかったからです。
この実験直前に、実験の研究者・軍関係者などの
アメリカ人は、事前に避難させて、
投下までの風向きや風力の測定を細やかに計測していました。
そして、風向きがロンゲラップ島に向いているのを確認して、
水爆を投下したのです。
ロンゲラップ島の人は、眩しい光を見た後に、
初めて見る「白色の降下物」を雪だと思い込み、
外で雪遊びをしていたのです。
それが核兵器使用後に現れる現象である
「放射性降下物(死の灰)」と知らずに。
その後、アメリカ人が、治療のためと称し、
島の住民らを違う島の病院に強制的に運びます。
しかし、その治療の実態は、適切な治療をせずに、
血液検査など欲しかったデータだけを検査するだけだったのです。
アメリカ政府は、放射線汚染の処理をせずに、
その3年後の1957年にロンゲラップ島に対して危険区域を外し、
”安全宣言”を出して島の住民を返したのです。
その後、島の住民は、白血病やガンで亡くなる人が続出したり、
流産や奇形児が生まれるといった症例が出て来たのです。
島の住民は、約30年後の1985年に自然保護・環境保護団体の
グリンピースの協力によって、全員が島から脱出しました。
アメリカ政府は、1996年に4500万ドルを使い
放射線汚染土壌を除去することで島民と合意し、
現在では、島民用の家などが建てられています。
島民のアメリカへの信用がなくなった、
今も無人の島になっているのです。
ブラボー実験(キャッスル作戦)に使われた場所
実験の場所は、ビキニ環礁、エニウェトク環礁で
現在のマーシャル諸島(旧日本帝国の委任統治下にあった島)。
場所は、以下の地図です。
そして、今回の話に出て来た島の名前に、
赤印で囲っています。