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【公共の禁止は人をもコロス?】玄関先に喫煙者たちを迎え入れてきたおばあさんが、指導を受け、病気になり、お亡くなりになっていたという話.

「おばあさんは、亡くなってね」

「おばあさんは、いらっしゃいますか?昔、隣にいたもので」、そう田中が聞くと、インターホン越しにおじいさんはそう答えました。

その後、少し事情を聞いたのですが、あまりのショックに話が頭に入って来ず。気づけば正月前の静かな神田西口商店街をただフラフラとしながら、これまでのことを走馬灯のように思い起こしていました。

私たちは、喫茶ランドリーをはじめるまでは、神田に小さな事務所を構えていました。大通りの一本内側に入った細い通りのオンボロ二階建ての一階の土間、まさにアジトといったいい場所でした。

引っ越して間も無く、お話ししはじめたのがお隣の一軒家に暮らすおばあさんでした。1日に何度も散歩をしているおばあさんは、ぼくらがいるとお菓子を持ってきてくれたり、帰り際にはち会うと、生垣で育てている植物の話をしてくれたりと、何にも変えがたい素敵な日常の会話をいつも楽しませてくださるようになっていきました。

お家の玄関先に集まる神田のサラリーマンたち

そんな神田ライフがはじまったある日、あることに気づきました。おばあさん家の玄関先に、何やら神田のサラリーマンたちが集まっているのです。そしてタバコを吸いまくっているじゃないですか。

近づいてみると...

そこには灰皿がありました。しかもこの大きさ、デカイ!!そして、日々観察をしていると、おばあさんは、玄関先の階段に腰掛けては、タバコを吸いに来るサラリーマンたちと楽しそうに話をしているのでした。

しかし、おばあさん自身はタバコを吸っていません。どうしてそんなことになってるんだろう?

ある日聞いてみると、おばあさんは、こう説明してくださいました。

ここに暮らしはじめたとき、この生垣にたくさんタバコのポイ捨てがされてね。

で、この灰皿を置いたの。

えっ!灰皿置いたの、って。。間はしょりすぎじゃないですか!?

自分は吸わないんだし、普通なら、上の写真のような注意書きを生け垣に設置しまくるでしょう。でも、おばあさんは、注意をするどころか、その代わりにこの大きな灰皿を設置して、あえて受け入れることを選択したのです。しかも自腹でですよ。

わかります?この跳躍っぷり。そして世界平和のはじまりも、そこに見ました。今やどのまちでもタバコを吸う人たちは訝しげな目で見られ、排除されがちです。そんな中でも、あえて迎え入れて灰皿を振る舞い、そしてその人たちと交流を図る。とにかくすごぎるのです。

そして、1日に何度も掃除しなくちゃならないのよね〜と言いながら、いつもおばあさんは笑顔で、変わらずサラリーマンとお話を楽しまれていました。むろんサラリーマンたちも、おばあさんとの一言二言の会話に、きっと会社では見せなさそうな自然な笑顔をのぞかせていたのでした。

おばあさんは、気づけば、街のことに一番詳しい人になっているようにも見えました。あの会社はね、あのビルはね、といろんな情報が日々インプットされていたのですから、当然かもしれません。

因みにここまでの話は、田中の「マイパブリックとグランドレベル」(晶文社)で、ひとつのマイパブリック(自家製公共)の例として論じられています。田中が全国でさせていただいている講演会でも、よく登場するアノお話です。ここからが、その後日談となります。

ある日、その光景は失われた。そして...

私たちはその後、2017年の10月頃に、神田の事務所から墨田区の喫茶ランドリーへ事務所を移しました。淡々とある素晴らしい日常は、明日も明後日もずっとあるものだと思いがちです。しかし、次に訪ねたとき、この光景はなくなっていました。

まず、灰皿がなくなっていました。どうしたのかな?とキョロキョロしていたら、おばあさんの家の壁に信じられないものが貼り付けられていて、全身の力が抜け落ちました。

それは路上喫煙禁止の張り紙でした。

まちの誰かが区役所に苦情を入れたのだそうです。ある日役所の人がやってきて、灰皿撤去の指導の上、これを貼りなさいと渡された。これを晴らされた時のおばあさんは、どんな気持ちだったのだろうと思うと、胸が締め付けられました。

と同時に、おばあさんの人生そのものが大きく変わらないだろうかと、とても心配になりました。

おばあさんは、おじいさんと二人で暮らしていて、おじいさんの病気のことで、家をあまり離れられないという事情があったそうです。そんなとき家の中でじっとしているのではなく、軒先でひと時まちのサラリーマンたちとお話する時間そのものが、小さくともおばあさんにとっては大きな生き甲斐なんだろうな、と感じていたからです。

私は大丈夫よ。それでも抵抗しようと思うの、と。ポストの裏に小さな缶を灰皿にしたものを、はにかんで見せてくれたおばあさん。でも、そのあとあの光景があの細い路地に復活することがありませんでした。

おばあさんが、僕らに投げかけてくれたこと

その数ヶ月後。

おばあさんに会いに行くと、ショックなことに、突然病気なってニット帽姿になっていました。あの後程なくして、病気になったの。だから、ちょうど良かったのよ、と元気そうなそぶりを見せるおばあさんに、また僕らは胸が苦しくなりました。

そして、お会いできたのが、その時が最後になってしましました。お亡くなりになったタイミングを考えると、その後一年以内に逝去されたことになります。

もちろん条例でも決められているのですから、路上喫煙はいけません。通報するのも市民の権利。役所の担当者も真っ当な対応をされたに過ぎないのかもしれません。ただ、こういう光景を排除して人間味のない街をつくる方向には向かうべきではないということについては、考えなくてはいけません。

もちろん、役所の対応とおばあさんの病気が直結しているわけではないかもしれません。それでも、ちょっとした規制でさえ、そこに暮らす人の他者に対する温かい気持ちや、振る舞おうという能動性を根こそぎ断つことになってしまうということ、それがまたまちに生きる人たちの生きづらさにつながってしまうということは確実なのです。

それまで1日に何人もの他人とのお話を楽しんでいた、ひとりのおばあさんが、その機会を失われた。それは彼女の人生にとってはきっと大きなことでした。私たちは、人ひとりの小さな行為ひとつが、その人の健康や命と直結しているという想像力を失ってはいけないと確信させられました。これは、市民、行政、企業という立場に関わらず、人間として持っておくものです。

今回の文章で誰かが悪いということを言いたいわけではありません。このお話に関わる人には誰一人悪い人などいないのですから。でも私たちは、もっともっと想像力をもたなくてはいけません。そして、このようなことが起きないための制度のデザイン、コミュニケーションのデザイン、ハードのデザインについて考えていく必要があります。

近年、今度はダイバーシティーという言葉が消費されはじめています。多様性を許容し合うと日本語ではいうけれど、それはどのレベルの多様性で、どのレベルの許容なのでしょうか。答えはありませんが、そのようなことについても、とにかく他者と触れ合いながら、考え続けなくてはいけません。

神田のおばあさんは、いろんな視点からのたくさんのことを気づかせてくれました。本当にありがとうございました。もう少しいろんなお話をさせていただきたかったのが残念だけど。どうか安らかにお眠りください。


1階づくりは まちづくり

大西正紀(おおにしまさき)

ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。

*喫茶ランドリーの話、グランドレベルの話、まだまだ聞きたい方は、気軽にメッセージをください!

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