今こそ「家」も1階をひらくべき!「グランド派建築家」たちに学ぶ、1階づくりの所作。たとえば、建築家・藤村龍至の場合「白岡ニュータウン リフレの杜 コミュニティガーデン街区」。
突然ですが、今日から私たちは、グランドレベルに対する圧倒的な能動性を持っている建築家を、グランド派建築家と呼ぶこととします。グランド派による建築ってのは、使い手がつくり手の想像を遙かに上回る能動性を発揮し、1階で行われる人々の営みによって建物とまちが融解していく(であろう)ものです。
そういう建築の1階(グランドレベル)が増えていくことこそが、まちや社会をグッと動かしはじめるリアルな力を持ちうる!ってことで、今回は、グランドレベルの視点で、最近竣工した建築家の藤村龍至さんによる「白岡ニュータウン リフレの杜 コミュニティガーデン街区」を見て行きましょう。
「白岡ニュータウン リフレの杜 コミュニティガーデン街区」設計:藤村龍至
先日訪ねたのは「白岡ニュータウン リフレの杜」。設計は、建築家の藤村龍至さんです。白岡駅から徒歩数分。ほどなくニュータウン内へ入り歩いて行くと、
奥に見えてきたのは5つの住棟から成る新しい住宅群。手前の既存の街区とは、少し雰囲気が違うことが遠目にもわかります。
気合いを入れすぎて、我々はオープンハウスに一番のり。マンツーマンで藤村さんに案内していただきました。しかし、なんでしょう!?この住宅たちは... 見渡すだけで、何かがヤバイ!そして、身を漂わせること数分。ようやく何がヤバイのかがわかってきました。
まず、なんせ前面道路に対する塀や敷地境界の壁がほとんどないのですよ。だからこの写真には5つの敷地が全て写っています。
よーく見ると住棟の間もこれくらいの設えになっています。写真中央のラインが、左右の住棟の敷地境界。
前面道路側には塀はもうけられていないので、前面道路を歩いていると、庭いじりをしている住人が目に入りながら、その隣の住人が玄関から出てくるシーンがこうして見えたり。
中に入ると、基本的に庭と前面道路側リビングが設けられています。リビングの窓からは、庭の畑越しに向かいの家に遊びにきた少年の姿が。リビングの作られ方も外との関わりを持ちたくなるようにつくりこまれています。さりげない窓際の設えなんて、本当にいつの間にか腰をかけてしまう。
こちらの和室からは、道路が伸びた先に緑道が見えます。桜の季節は満開になるのだそう。けど一般的には一階だとここに無理矢理植栽を施すことが多いでしょう。
リビングの窓際に腰掛けたときの外のビュー。能動性を喚起させるグランドレベルのデザインサンプルとして、5棟のうち2棟には予めテラスと菜園ボックスがつくられていました。こちらはランドスケープアーキテクトの石川初さんが関わられたとか。見てください。テラスも向かい合って座れるように! 間に焚き火台でも置きたくなりますね。そして、前面道路とのこの関係性。お茶でもしていて、ご近所さんが通りかかったら、
「まぁ、よっていきなよ!」と、アブダビで体験したようなこんな風景になるのでは、と妄想したり。
そういったさまざまな妄想を全住棟に当てはめたとき、このエリアはなんて豊かなエリアになるのかと鳥肌が立ちました。何気にプレーンに見えるようで、敷地境界の壁の絶妙な高さや、ちょっとした段、芝生の設え、リビングと外との距離感など、藤村さんは、絶妙な補助線を引いていたわけです。それも、これから住むであろう住人たちの能動性が積極的に外へ出てくるように。
5棟に住人たちが暮らしはじめると、意図的にデザインされたコミュニケーションを取らざるを得ない状況から、さまざまな形の交流がはじまるでしょう。家の前を行き来する人たちともさまざまな新しい関係が生まれるはず 。テラスが設えられていない住棟に住まう人も、プレーンなまま放っておく人はきっといないでしょう。自分なら何をつくろうかな?となる。それはきっと自分のためにということだけではなく、外からの視線や物理的な人までをも、どう受け入れようかということにつながるはずです。そうやって中に住まう人が外を想うことこそが、住宅という存在が地域のコミュニティに接続する第一歩になるのでしょう。
そういった考え方が、これまでの多くの住宅には、ありませんでした。内部の生活は外にはほとんど漏れてきません。もちろん、防犯性も高く、家族のプライバシーも高く維持されます。しかし、それは裏を返すと、まちや外のことを意識せずに済む住宅です。本当にそれが良いことなのでしょうか?
根本的なところへ立ち返り、一人の人間が生きるということの幸福度的な観点や、また不動産価値の維持という観点から見ると、まず求められるのは「地域コミュニティの醸成」です。それなのに日本に建つ多くの家々には、それが抜けていました。多くの家の佇まいは、「地域コミュニティの醸成」を拒否している建ち方をしてきたわけです。
グランドレベルの視点から見ると、「地域コミュニティの醸成」には「住民の能動性をかきたてるグランドレベルづくり」が必須と言えます。
それを個人住宅ならまだしも、分譲住宅地の建ち方と価値観の新しいカタチを実現させた藤村さんの建築家としての構築力とコミュニーケーション力に感嘆させられました。特に、合理性とチャレンジの狭間にあるこの建築をとりまくかなり複雑な要件への解き方を、最終的に事業者の心に通じるコトバで理解を得ていることを感ぜざるを得ませんでした。
一方で、それを受け入れた総合地所さんも、スゴイというか。約 30 年に渡って、この「白岡ニュータウン」をただ利益優先の開発ではなく、ニュータウンの新陳代謝と、住人同士の育み合いを真剣に考え、トライし続けている。そのことが一企業として本当に素晴らしい。
「白岡ニュータウン リフレの杜 コミュニティガーデン街区」は、確実にこれからの住宅づくり、そしてライフスタイルのエポックになることでしょう。それだけに、これからの住まわれ方をも是非、世界へ向けて発信し続けてほしい。一体そこには、つくり手の想像を遙かに上回る使い手たちに能動性が、風景としてどのように広がるのか、見てみたいのです。
*もう少し時間のある方はぜひ下記のリンク先もご覧下さい。街区の考え方から構造、ランドスケープまで、さまざまな視点の解説があります!
リンク:「白岡ニュータウン リフレの杜 コミュニティガーデン街区」
おおにし・まさき(mosaki/GroundLevel)