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線と造形、そして社会姿勢

大学生活は素敵な毎日とまでは行かないが、自分の才能の在処と向き合うには最善の場所だった。少なくとも今は変わってきているのだろうけれど、コロナ禍前は、最近の「誰も取り残さない」「あなたらしくありなさい」的な場所ではなかった。よくはない言い方をするとしたら、建築を辞めてもらう、または自分に可能性や才能を見出すことを諦めさせる為の場所だったと僕は思う。排他的な意味ではなく、建築の可能性を信じて、職能を育てる場所として真っ直ぐ真摯な態度がそこにはあった。

型を守れない人、基礎の習得を堪えられない人、熱量を真っ直ぐに注げない人には容赦がなかった。(もちろん、僕も何度も怒られた)
理不尽だけれどプロになるということはあらゆるものをかなぐり捨てて、それでも辿り着けない領域へ挑むということであり、その上先代を超えていかねば文化的なアップデートは起こらない。意思や覚悟が存在しないような「線を引く、造形をする」者は生み出させない。僕はそんな早稲田の建築家たちの硬派な、時代には合わない教え方や姿勢がたまらなく好きだった。今はどうかはおいておくが。

在学中、自分の作品は制作をする度に、図面を描くたびに河原にあるその辺の石ころのように扱われていた。評価をもらうことはあっても、それはどこか相対的なものだった。個人に宿る絶対的なものではなかったのを知っていた。自分自身、建築や空間に対して真っ直ぐに挑む人達と正面から戦わず、何かイレギュラーなあり方や手法を狙おうとしてしまう癖を克服できずにいることはわかっていたし、そのイレギュラーな手法は誰の目にも見透かされていた。だから小石しか生み出せなかった。それは恥をかくことから逃げた、真っ直ぐに戦えないやり方だった。クリエイティブであることは、あらゆる創造物に最後の1人でも肯定していく覚悟を持つことなのに、その生み出した線に魂は籠っていなかったし、籠めることができなかったのだと思う。

線を引く理由、造形を生み出す理由が、当時の自分の中にはなかった。
自分の中で「線を引く理由」は、残念ながら大層な憧れ、そして自分に対しての祈りだった。大きすぎる建築の概念や歴史に縋り、それに追いつこうともがいてる自分の姿を自分は欲していた。

そんな自分の為しか本心では考えていない人間が魂の籠る線を引けるはずがない。自分の手から離れて影響を与える建築という「線を引く」ことは許されることではないと思った。逆に、お題を与えられて、回答を作るように必死に線を引いてる周りの学生の様子がとっても怖かったので教室の外の戸山公園へお決まりのように逃げていた。

同時に、こんな個人的なことで悩めることの高貴さや視野の狭め方というものを自分の中で落ち着けることができなかったのだと思う。建設業は多様な世代、多様な存在の協働で生まれる産物であるときに、社会を見ずに大きな物を作り出す快楽を浸る癖がついた時、そこに謙虚さを欠落させたり、誰かを切り捨てるという行為が静かに内面化していくことの怖さをなんとなく知っていた。(カタールのW杯スタジアムの件は特に酷かった)

僕の引く線は、いずれ誰かを動かす力を持ち、同時に不幸にもするかもしれない。初夏、誰にも言わずに大学から静かに離れた。そして年明け間も無く、パンデミックが訪れた。

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コロナ禍で建築を離れたことは、結果的には社会の一部として現実を直視し、線を引くことだけでは変わらない、空間やデザインだけでは変化しない物事を身体を伴って知るということだった。毎日が、一瞬でも気を抜いたら世界も自分も灰色になってしまう瀬戸際に立っていたと思う。

学生NPO/NGOでの経験は、人への憎悪や嫌悪、文化や歴史認識、政治的な対立、人種や宗教、暴力と戦争、陰謀と動揺など、それらが人々の関係性から起こる瞬間を目の当たりにすることが多く、それらを見ると建築やデザインの安直なあり方に壁壁とするのは必然的なことのように思う。国内でニュースでは伝えられていないことが多すぎたし、自分はそこまでの想像力を持つことのできていない存在だった自覚するとどうにも過去を清算したくなる思いに駆られることもあった。建築を作る、造形する、線を引くことではどうにもならない世の中の事象がたくさんあった。

それでも、建築や空間に意味を感じる瞬間も同じくらいには何度もあった。

建築を偉大なものだとは思わないのだけれど、言語を超越する空間、文化の融合、身体を同じくした「人」がチームで作る「モノ」の尊さ、技術の差も知恵で乗り切れる公正さ。そして生命の獲得と言わんばかりの熱の塊。建築や空間は、普通だったら友達でもなく、関心持っていなかった人達を繋いでいくれる、引き合わせて仲間にしてくれる力がある。考え方や信条の違いを超えても、同じ空間の共有で涙を流すことがあるから、本当に不思議なものだと思う。そのような、建築や空間がこれから先の社会や人の新たな関係性を紡ぐものとして迷うことなく存在して欲しいと思う。

建築や空間は、そっと包み込むように私たちの背中を押してくれることもある。自分にだって少しは作れるかもしれないという感情や、やってみたいという気持ちを掻き立てるのはなぜだろう。あらゆる悩みや屈折を友達や人間よりも寄り添い、そして一緒に救ってくれる。社会における機会の平等を人権として叶えることは、建築や空間の1つの意義だと僕は思っている。

少なくとも自分は個人的作家性のためというよりも、人々が生み出す建築や空間に宿る人という生命の煌めきを見たいと思っているし、線と造形が引き裂かれた社会をもう一度繋ぎ止める逆説的なものであって欲しいと願っている。

そのために、線を引こうと思うことに今は迷いはない。
そう思えるようになるまで何年かかったのだろう。

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この先の時間の針の進み方に対して必死に争いたくなるような気持ちを日々覚える。猛烈な絶望も感じなければ、圧倒的な希望もまた存在しない世界。日常的な仕事は生存には叶うが、決して人生を預けるほどでもない。
暮らしというものを人質に取られて毎日を過ごすことに対しての虚無さに対して争う術と力を持っていない。そこで死を選ぶ覚悟すらもないので、自分に対して寿命を消耗し、火の終わりはジリジリと迫ってくる。野心や知的好奇心、そして正義だけでは、生きることのできない世界に足を踏み入れている。どうしても変われずにいるのはずっと自分だけだと思うことがある。みんなちゃんとそのような世界の様相を理解をして変わっている。

それでも、僕は自分で自分を納得できるように生活をしたいと思い、創作や事業や建築をしようとしている。アニメや映画では涙を流せても、世の中の事象に対して慣れてきてしまっている自分にも虚しさを感じてもなお、そういうことをやめようとしない。作るということがよくわからなくなり何を作っていいのかわからなくても、それでも線を引き、形を与えようとしている。そんな自分が、自分でも不思議なように思う。

誰かの話す建築理論も住宅論もどこか空虚なものに聞こえてくる。
雑誌に載った対談記事やインスタグラムの広告、イベントにもどうしても惹かれなくなってしまった。先生方や巨匠の言葉も参考にはなっても、形を与える絶対的な指針にはならない。すでに見えているものが変わり、僕は僕を信じて精度はどうあれ、線を引けるようになったのかもしれない。

一枚の図面を見るとその熱量と意味がわかるように、線を引き、形を与えようとする社会姿勢と勇気、そして行動があればそれでいいのだろうと思う。誰かの言葉ではなくここまでに築かれた、個人に存在する覚悟と意志と自信は、線に現れ、誰かの目に静かに触れ、心を動かせるその日まで、筆を握っていれば良い。


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