【いのち図書館】(2)早く、小さく生まれてきた赤ちゃんの「普通」のお産
7回の妊娠を経験し、3回の流産と1回の死産を経験したやまだあきこさん。新たに授かった赤ちゃんはおなかの中でスクスクと成長していましたが、13週目に起こった出血がきっかけで22週目には前期破水が起こり、緊急入院することに。それまで助産院での出産を多く経験していたあきこさんは、予定日より約3ヶ月早くこの世に生まれ出て来た赤ちゃんの帝王切開での出産、NICU(新生児集中治療室)での日々のなか、それまで抱いていたお産に対する「普通」が大きく覆されたといいます。(1)、(2)、(3)から構成されているインタビュー。(1)は出産までのお話、(2)では、着実に成長を遂げ、退院をするまでのお話をお伺いしています。
(取材日:2019年11月28日 取材者:鯨井啓子)
偉大だった母乳の力
産後すぐに始まった、様々な医療介入
今回の出産は私にとって、そして私たち家族にとって、ゴールではありませんでした。通過点でありスタート地点みたいな。無事に生まれてきた安堵に浸る余裕もなく、次から次にいろいろな出来事が起こりました。
産後2日目の夜、小児科の先生から呼び出しがありました。心拍と呼吸が下がってしまったのでレントゲンを撮ってみたら、肺に穴が開いちゃってる。つまり、気胸だとのこと。肺の壁もまだ未発達ですごく薄くて、ちょっと泣いてもすぐ穴が開いちゃうくらい繊細に出来ているから、未熟児には気胸は珍しいことではないんだそうです。兆候が出ているということで、肋骨の間に穴を開けて管を入れて、肺の活動をサポートする処置と、スーハ―スーハ―と大きく息を吸ったり吐いたりするのではなく、フワワワワワっておなかが震えるような感じで呼吸ができる処置をしました。その頃黄疸も出てしまった関係で、赤ちゃんは目隠しもされていました。肺の治療もしているし、暴れちゃうと管が抜けちゃうからと、ずっと眠らされている状態でした。
このころ私の中には、もっと長く妊娠を継続して、赤ちゃんをおなかの中で大きくしてあげたかったという後悔がありました。病院で相談役をしている助産師さんにそれを話したことがあったのですが、「おなかの中にいる赤ちゃんにとっての1日は、人類にとっての5憶年くらいの進化を経験する、とても価値がある時間。だから、赤ちゃんも感謝していると思うよ。1日しかと思わずに、その1日に自信を持っていいよ。」って言ってくれて。そのことばが支えになりました。
「うちの子に会いたい!」が原動力
私が退院したのは、出産から8日目のことです。赤ちゃんの状況を常に把握できていた病院とは違って、家に帰って来てからはずーっと心配している状況ではなくなりました。でも、その時間が逆にせつなくて。「本当に産んだよね?」とか、「赤ちゃんは今頑張ってるのに、私はこうやってのんびりしていていいのかなあ」とか、そういう気持ちになることもありました。
週数は早いけど、帝王切開でおなかから出すという話をされたときに、「赤ちゃんはおなかの中にいないでどうやって大きくなるんですか?」って先生に質問しました。すると、「えっ?母乳です」って当たり前のように言われて(笑)退院をした後は、搾乳した母乳を病院に届けて、看護師さんにあげてもらう生活がはじまりました。
そのころちょうど、11歳の長女と8歳の長男、そして3歳の次女も夏休みに突入。怒涛の毎日が始まりました。朝5時から1日8回、3時間おきの搾乳が基本。午後になったら、赤ちゃんの面会のために病院へ行くのですが、12歳以下のこどもはNICUに入室することができません。小学校のこどもたちはロビーで本を読んだりして待つことができるけど、3歳の次女はロビーにも入ることができないので、夫の職場や保育園に毎回預けることになりました。15時半から16時には切り上げて家に帰って、家事をして、みんなを寝かしつけて。今やれって言われても絶対できないと思うような毎日でしたけど(笑)、あの頃はただうちの子に会いたい一心で。それだけが原動力だったなと思います。
おなかの外で赤ちゃんを育てる母乳
そもそも週数が早い段階での出産だったし、産後すぐに母乳がいっぱい出るタイプでもなかったので、最初は0.1cc採るのにも苦労しました。おっぱいも出ない、抱っこもできない、先生たちと一緒に治療をしてあげられるわけでもない。赤ちゃんにしてあげられることがないって思って泣いたこともあったんですけど、「それはちゃんと赤ちゃんに伝わる大事な気持ち。ちょっとずつでもおっぱいあげて、赤ちゃんが育ってほしいなって思うことが、今のあなたにできることです。」と看護師さんが言ってくれたので頑張って、徐々におっぱいも出るようになりました。
最初のうちはスポイトでポトンと1滴分くらい、0.1ccずつの母乳を、ちょっと口に含ませてあげることから始めました。そんな少しでも、そのときの赤ちゃんの小さな口にとっては結構な量でした。それから少しして、鼻から直接胃に届く管を入れてもらい、授乳を続けていきました。いわゆる「胃ろう」ですね。直接口から母乳を飲めるようになったのは、生後50日目くらいのこと。なかなか呼吸が続かないので、少しずつ練習をして飲める量を増やしながら、生後2か月を迎えるくらいでやっと口から5ccずつ飲めるようになりました。口での授乳をしつつ、飲み切れなかったら胃ろうの管から授乳。母乳のおかげで、赤ちゃんの体重は週数相当に増えていきました。赤ちゃんがお母さんのおなかの中で守られて、お母さんの栄養で大きくなるということは、想像ができていました。けれど、たとえおなかから早く出ることになったとしても、母乳の力で発達していけるということ。外の世界のこんなにも小さく出てくることが大丈夫なんだ!ということには、今回ほんとうにびっくりました。
口から授乳をするようになった8月末から、一日3回2時間ずつ、呼吸器を外すようになりました。酸素って多くの臓器にとっていいものだけど、目にはあんまりよくないみたいで、最悪の場合、未熟児網膜症で網膜剥離を起こし、失明するリスクもあるのだそうです。未発達な肺で生まれて来ているので、呼吸器もしたままの方が安全なんじゃないかなと親としては思ってしまうところもありました。けれど、先生やスタッフのみなさんが、しっかりと状況を見極めて、もう大丈夫だという判断をしてくださった。そんな「大丈夫」が増えて行ったから、この子も成長していけたのだと思います。
母子ともに大切な時間、カンガルーケア
8月末にはNICUからGCU、回復治療室に移ることができました。GCUに移る目安は、1000g以上で、処置があまりないことなのだそうです。その少し前に保育器も卒業し、ほかの赤ちゃんと同じ、コットと呼ばれる新生児用ベッドに移りました。GCUに移ってからは沐浴や授乳など、私にもできるお世話がすごく増えました。
様々なお世話の中でいちばんいい時間だなと感じたのは、お母さんの胸に赤ちゃんの身体をぴったりつけてするカンガルーケアです。はじめてカンガルーケアをしたのは、まだNICUにいた生後32日目のこと。呼吸が落ち着いてきてだっこができるようになったので、酸素吸入器を付けた状態で始めました。その後もカンガルーケアは続けていったのですが、赤ちゃんの成長面にとって大きな“栄養”になるというこのスキンシップの時間は、私にとってもものすごい癒しになりました。カンガルーケアをすることで味わえたのは、赤ちゃんと肌と肌とでつながっている感覚。その間は不安も頭から抜けて行きました。おなかにいるときの感覚に似ているのかな、お互いに。いまだにうちの子は、カンガルーケアのポジションが大好きです。
出産から3ヶ月ほどが経った10月15日、ついに退院の日がやってきました。この間ほんとうにいろいろなことがあったけど、いちばん長く感じたのは私が退院するまでの8日間です。そのあとは渦に巻かれるように、日々をがむしゃらに駆け抜けたっていう感じかな。1ヶ月目は「はぁ、早かった!」と思って、2ヶ月目はもっと早かった!と思って、3ヶ月目はもっと!みたいな感じで。
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