人ひとりの持つ存在感
ヨウコさんとスーさん夫婦は
士別でできた大切なともだちだ。
たまらなくキュートでおちゃめなヨウコさんと、
寡黙ながら私たちをあたたかく見守ってくれるスーさん。
私はふたりのことがとても好きだった。
仲良くなってしばらくたったある日、
ヨウコさんからメールが届いた。
そこには、引っ越すことになったと書いてあった。
やりたいことを形にするための、
ポジティブな一歩を踏み出すために。
どこに行ったって、
たいせつなともだちなのは変わらない。
それに、ふたりの引っ越し先は
頑張れば日帰りできそうな距離だ。
けれど、
ヨウコさんとスーさんがここからいなくなると知ったとき、
今まで住んだ都市では感じられなかった
大きな穴みたいなものができる様子を、
私はしっかりと頭に思い描くことができた。
ふたりがいなくなることは
人口統計では単純に「-2」と記されるだけだ。
けれど、その数字が実際に持つ重みたるや。
人ひとりの存在感と存在意義は
ちいさなコミュニティだからこそ大きく感じられて、
だからいいなくなるときの喪失感には
胸がとんでもなくキュッとなる。
ヨウコさんと一緒にするから楽しいこと。
スーさんと一緒にいるから安心なこと。
そういうことが日常の中になくなるということ。
ひとりの人間がそこにいるということは
そもそもそれくらいすごいことなんだと思う。
ただそれだけでとても。
その人の代わりは、絶対にいない。
そしてそれは、
ここが過疎地域だからわかったことだ。
ひとりひとりの存在感が
受け持つ範囲のようなものは、
人が少ない地域の方が圧倒的に大きい。
「いくら仕事があっても、
地域に住む人が減るとさびしい。
それが理由でこの地域を去る人も少なくないんですよ。」
いつだったか
ちかくのまちのチーズやさんが
話してくれたことばの意味が、
こころの深いところで
理解できた気がした。
住んでいる人が少ないからさびしいんじゃなくて、
人がいなくなるとさびしい。
そういうさびしさがあることも、
私はドウホクに教えてもらったんだ。
◎鯨井啓子 info
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