031 NVC(語)を嫌いになる
031 NVC(語)を嫌いになる
自分にとって、大切な人が居て、ともに学びを深めていく。
けれど、ある時、その人が、学びに拒否反応を示すようになり、去っていく。
NVCコミュニティの中に居て、いろんな学びの場でも顔をあわせて、親しくしていた人が、ある時消息を絶つ。
そして、SNSの投稿を見ると、NVC自体にひどい拒絶反応があることを知ることがあります。
(※NVCを嫌いになるのがダメという事ではないです。NVCの好き嫌いに関わらず、友人であることには変わりないからです)
私自身も、時々、急にNVCへの嫌悪感が生まれてくる経験があるのです。
なぜなのか?
今の私の仮説は、「自然体であることと、思考や作為であることの違い」です。
私の場合、NVCを嫌いになるのは「NVCをやっている」が前面に出ている時です。
敬愛するRobert Gonzalezの言葉を借ります。
思考・ストーリーに居ながら、NVCをおこなう時、私は自らを苦しみの渦中へ投げ込むのです。
普段の会話に、意図的にNVC文法を持ち込むとき、相手は命の流れが不自然であると敏感に嗅ぎ取るのです。
作為や意図をもって会話すると、人は、その"臭さ"を本能的に感じ取るのではないか?と思っています。
一方で、私の中を流れる「命の川」、それは、ただ現れて流れていきます。
喜びも悲しみも、憂鬱さも、怒りも、後悔も、嫌悪も・・・・
ゆっくりと呼吸しながら、命のエネルギーになっていく。
命の流れに身を任せる。
「私が、命のエネルギーと共に、あなたの横に居ること」、つまり、あなたの語ることを、ただ、「うん、うん」と聞くことだけで贈り物なのです。
「NVC語を使うこと」が贈り物なのではないと、私は思うのです。
最後に、再びRobert Gonzalezの言葉で終わります。
私の祈りでもあります。
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