111 正直な表現に逡巡する
私には、相手を傷つけるかもしれない、けれど、自分の中に湧き上がる表現というのがあります。
例えば、今日は献さんと重子さんの命の源泉シリーズ・フォローアップ講座が20時から開催されました。
「講座に遅れないよう、19時過ぎに私はお風呂に入るからね。もし先に入るのなら、早めに入ってね」と妻に帰宅直後に伝えていたにもかかわらず・・・・
私が入ろうとした19:15に風呂場の灯りがついている・・・
奴がしれっと入浴してたのです。
まぁ「死ね!」ですよ。
「お前は100回しんどけ!!」なんですよ。
ところがNVCをやってる身としては、「死ね」は高度に暗号化された命のエネルギーで・・・・とか言って、そのままの表現を自分に禁じちゃうわけです。
これは、かなりのストレスなんです。
私の場合、NVCが大嫌いになる一番の要因と言えます。
とりあえず、これからは、「死ね!」の代わりに、「おたんこなす!」とか言いますかね。
で、このテーマを献さんと重子さんにお渡しして、ヒントをいただきました。
献さんからは
「人を傷つけるような表現をしたいとき、なによりまささん自身が共感を必要としていると思うのです。
どれほど大変だったり、つらいのか、聞いてもらった後で、選択の余地ができるかもしれません」
重子さんの回答の一部が、私にはめっちゃヒットして・・・
「怒りに任せて相手に言うことをしばらくチャレンジしたけれど、結局、相手が聞くことのできるキャパを越えてしまって、聞いてもらえないという体験を随分したので、怒りに任せて言うという正直さを手放しています」
最後に、重子さんが怒りに関する歌
一節を歌ってくださいました。
そうだ!
歌おう!踊ろう!
詩にしたり、文章にしたり、そういう表現であれば、すっと透き通って外につなげていけそうです。
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