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126 話が聞けない・受け取れない(その3)

やっと、本題にたどり着きました。
人としての器の話です。

私の大好きな亡き師、Robert.Gonzalezは

「私たち自身を楽器として見ることができます。
生きていくことはこの楽器を演奏すること。コミュニティーの中で、そして全ての関係性の中で、感謝、嘆き、悲しみ、愛の歌を奏でることができるように、人間という楽器のチューニングの仕方を学びましょう。そうすると、自分自身の心に留まり、優雅さ、本物さ、思いやりをもって他の人たちと共に歩むことができるようになります」
と言っていました。

Robertのあの空気感から出る言葉を受け取るとき涙が出ます。

「泣いちゃった!!」(ちいかわ構文)

ですが、気を取り直して筆を進めます。

私たち人間は、誰でもそれぞれに自分の器があります。それは、認知する力や経験、知識、興味などの要因によって決まると思います。

そして、それぞれの器に収まる情報しか受け取れないため、自分の器を越えた情報を理解することが難しいのです。

例えば、3歳の子どもに失恋のつらさをわかってもらうのは難しいでしょう。ひょっとすると、死別する出来事も、十分には伝わらないかもしれません。

ちなみに私は、若いころ、「損得/正しい・間違いの世界」に住んでいたので、「人生を豊かにするゲーム」は、絵空事だと思っていましたし、いまも、心から信じることができず、練習してる感じです。
「人生を豊かにするゲーム」を受け取る器が、私の中に十分に育ってないとも言えます。

このような自分の器を越えた情報を受け取れない状況は、誰にでも起こりうるものでしょう。

一方で、それは自分自身の知識や経験を広げる機会でもあります。

自分の器を拡張するためには、まずは自分の限界を認めることが大切だと私は思います。
偉大なる第一歩は、認めることなのです。

そして、興味を持った分野や、自分の知識や経験を広げたいと思うことを積極的に探し、学び体験することが重要だと私は思うのです。

自分が受け取れてない情報を、教えてくれたり、指摘してくれる人や学びを大切にし、人間という楽器の奏でる音色を、より素晴らしくしていきたいという強い憧れが私にあるのです。

話を聴けてないとき・受け取れてないとき

そのことに気づき、世界を広げていきたい。

それは私の切なる願いなのです。

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