014 人のニーズと自分のニーズを混同する
014 人のニーズと自分のニーズを混同する
ニーズを扱う時、気をつけないと、それが誰のニーズなのか、時折、混乱が起きます。
ありがちな例として、親子関係を扱ってみます。
私によく起きたのは、定期テスト前の娘とのやり取りです。
試験前の土日なのに、娘が勉強に時間を使わず、寝てばかりいます。
(娘)・・・・寝起き・・・・
(私)「試験前だと思うけど、なんか寝てばっかりじゃない?大丈夫?」
(娘)「ちゃんとやるから、せっかくやる気になってたのに、今の一言でほんとにやる気がなくなった」
(私)「いや、成績悪くて困るのは娘ちゃんでしょ、もうちょっと頑張った方が良いんじゃないの」
(娘)・・・・スマホのゲームをはじめる・・・・
このとき、「テスト前の勉強に取り組む」というのは、誰の願いなのでしょうか?
もちろん、私の願いです。
その願いが叶わなくて、私はイライラしたり、不愉快になったり、不安になったりする。
娘が机に向かっていれば「私が安心する」のです。
私が安心するための道具として、娘の行動を操作しようとする。
でも、私が思っているのは「娘のために、あえて嫌なことを口にしている」です。
そう、私のニーズを満たす行動なのに、それが「娘のために私は言ってる」と、あたかも娘のために助言していると誤認するのです。
つまり、他人を操作して、自分のニーズを満たそうとし、さらに、それが「相手の為だ」と思い込むのです。
パワハラやセクハラでも、似た構造が往々にして生まれます。
「部下のためを思って厳しく指導した」上司が、部下を死に追い込む。
「親しさの表現として体を触った」男性が、同僚の女性にトラウマを植え付ける。
友人関係やカップルであれば「落ち込んでいる彼/彼女を支えたい」なんてのも注意しないと同じ構造を生むかもしれません。
「彼/彼女がただ悲しみに浸っていたい」のを無理やり変えようとしてしまう。
誰のニーズなのかに注意を払う・・・自分のニーズの面倒は自分が見る。あわせて、人のニーズの面倒を、相手の同意なしに自分で満たそうとしない。
なお、「相手の為に言っている/やっている」という所をもう一段、深堀していく事をお勧めします。
娘とのやり取りは、私がもっと自己共感しながら、掘り下げていくと・・・・
「愛」へとたどり着きます。
同時に「成績が良くないと親をがっかりさせてしまう」と思い込んでいた幼少期の痛みも刺激されているのにも気づきます。
幼少期の自分に慈愛の目を向ける・・・・「お父さんとお母さんのことがとっても大好きで、成績のことで、失望させたくなかったんだね。」と、幼い自分を今の大人の私が抱きしめる。
やがて、私の中で癒しが起きます。
すると、唐突にシフトが生まれます。
「娘が何を経験しようとも、私はそばにいて必ず支えよう。娘が生きているだけで十分うれしいのだから。」
全身を愛で満たし、ただ共にいる。
娘への純粋な愛だけがあり、それは、本当の私の心からの願いなのです。