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094 NVCを自分に強要する
自分自身を改めて内省してみると、多様性があります。
例えばNVCについても、
■NVC親派の部分
■NVC拒絶派の部分
■無関心な部分
が同時に共存しています。
私の中のNVC親派の人たちの声は結構大きいです。
普段は、「NVCをやるのだ~」という声が、私の中で主流なのです。
ところが、時々、NVC拒絶派の人たちが反乱を起こすのです。
昨年の11月の終わりごろから、NVC拒絶派の人たちの声が結構大きくなり、
「NVCなんてやるのはしんどい、やめちゃえ~」と思うようになったのです。
私の中で起こることは、空模様と似ています。
澄み切って晴れて暖かな日もあれば、嵐のように吹雪く日もあり、40℃を越えた灼熱の日もあるのです。
なのに、自分自身にOFNRを強要してしまうと、空にかかる美しい虹なのに、感情として「おだやかな」、ニーズとして「命の祝福」という単語に置き書き換えられちゃうのです。
そして、命が苦しくなるのです。
いまは、OFNRとはちょっと距離を置いて、Robert.Gonzalez師の「ただエネルギーを味わう」というやり方にシフトしてるんですが、それでもなお、なんだか窮屈に思えるのです。
そんなとき、献さんから
「マーシャルはNVCを真理とは言ってないんですよ。そして、『人が暴力的ではないと信じる』と言ってるんです。それは、マーシャルが世界をどのように見たいかということと繋がってると思います。」
と聞いて、ずいぶん安心できました。
ここが、逆説的なポイントなのですが・・・
「私が自分の命を大切に生きる」ことが主であり、NVCはそのサポートに過ぎないのです。
やりたくないと思うときはやらない・・・もっと言うと、やりたいと思うときに、やりたいだけやればいいんです。
いい人になるのではなく、私が私の望む命を生きたらいいのです。
で逆説を経て、結局、NVCのベースのところに戻るのですが・・・
つまり私が願うのは、「自然な分かち合いが可能なつながりの質」がある人生。
もっというと、"make life wonderful"なのです。
NVC拒絶派の声に従ってたはずなんですが、結果的に、NVC親派に戻ってきちゃいました。
そんなところに、今日はいます。(明日はどうなるかわかりません)
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