坂爪圭吾さんとお会いしました
昨晩・・・つまり2023/2/3(金)の夜、圭吾さんのフェイスブックの投稿を見て、福岡で場が開かれることを知り、急遽参加を決めました。
noteで文章を読んで圭吾さんへの印象が私の中に勝手に育ってて、「おじさんが行くのもなぁ・・・」と、道すがらも葛藤していました。
実際に場が始まって・・・・そして、おじさんは私一人だったわけですが・・・私にとって豊かな時間でした。
私が受け取ったものをいくつか、メモとして残してみます。
私が場に出した話は
自分の中に「人の喜びを喜びと感じる自分」と、「職場などで嫌いな人が失敗するのを黙ってあえて見過ごし、あざ笑うような黒い疼きのようなものを持つ自分」がいる。
圭吾さんや、来られている皆さんは、「黒い疼き」のようなものはありますか?
あるとしたら、どのようにお付き合いされていますか?
というものでした。
参加者の方からは、
■「付き合う」という表現だと、自分以外のものになっている感じなので、それも自分として受け入れることをしています。
■同僚が失敗しそうなとき、あえて見過ごすことはあります。
圭吾さんからは
■「みなさん、いつでも熱海の家に来てくださいね」という自分もいるし、来てから、だらだらと過ごす人がいたら「死ね」と言ってしまうこともある。
■自分の中で「死ね」と言いたいのを言っちゃダメだっていう部分もあるけれど、それに従っていると、自分が死んでしまう感じがある。
■「死ね」という言葉も、ポップに言う感じもあるだろうし、暗く重い感じになることもあると思うが、正直に表現していると、ため込んだ暗さのようなものはなく、ポップになる気がする
■自分一人で全部やるっていうのを思ってたこともあるが、今は、自分ができなくても周りの人がやってくれる(周囲の人が相手の人をフォローしてくれたり、自己解決するだろう)という感覚があって、自分の感じたことを表現している。
■世界が壮大なボケをしてくれてるので、そこに突っ込みをしている
などなど
私に特に響いたのは
・自分で全部やろうとしない
・自分の中にあるものを「受容」する、殺さない
・世界に突っ込みをする
でした。
まだ、さわやかな風のような余韻が残っていて、これを大切にしたいなと思っています。
圭吾さん、ありがとうございました。
まさ