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079 お金について(試し書き その2)

前回の続きです

前回を、ざっくりまとめますと、マーシャルが言うには、お金は「命に貢献するように使う」ものです。

「何かに価値があり、その価値との交換としてお金を払う」使い方とは真逆です。

社会変革の心(The heart of Social change)の中で、マーシャルは、お金についてこんなことも言っています。

In a life-enriching structure, nobody works for money. Money plays the same role as food for a mother who is breastfeeding her infant. She doesn't receive food as payment. The food is nurturance so she has the energy to serve life.

人生を豊かにする構造では、誰もお金のために働きません。お金は、乳飲み子に母乳を与える母親にとっての食べ物と同じ役割を果たします。

母親は(子育ての)対価として食べ物を受け取るのではありません。

食事は(乳飲み子の)生命を育むものであり、母親は(乳飲み子の)生命に奉仕するエネルギーを得ることができるのです。」


また、先に紹介した動画の中で、びっくりすることも述べてます。

「お金のためにはなにもするな」
「海外では逆にお金を求められることもあります。そのおかげで参加者はワークショップに参加し、かつ家族を養うことができます。ワークショップに行くことでその日の食い扶持を得られない人々がいるのです。
「例えばシエラレオネでは、ワークショップに参加してくれた人にお金を与えるのです。
他の国の人たちがくれたお金で、そうすることができるのです。
決して、お金のためになどなにもしないでください。
意味という価値/ニーズを満たすことをして、そのために必要なお金をお願いするのです。


では、なぜ私たちは、「何か価値があるもの」と交換するために、お金を使うのでしょうか?

なぜ私たちは、お金に価値があると信じ、時に、お金を得るためにやりたくないことを我慢して働くのでしょうか?


それは、私たちが受けた教育、あるいは、社会環境から生じます。
「自分のやりたいこと、命が豊かになることを、時に我慢して働くことで、対価としてお金が得られる」と信じさせられるからです。

ここに、マーシャルの説くNVCの社会変革のお誘いが現れてきます。
「いのち(人生)を豊かにすることを動機にする」お誘いです。

さて、ここまで書いてみて、私の中には、とても大きなため息と諦めが生まれています。

私は、日々の実践を通じて、「いのち(人生)を豊かにすることを動機にする」ゲーム自体は、徐々に楽しめる範囲が広がってきましたが、こと「お金」が関係してくると、途端に難しさを感じるのです。

例えば、こうして文章を書くこと・・・
これは私の長年の学びを分かち合いの気持ちから書いています。
多くの人が、私の山ほどの失敗を繰り返さずに、「いのち(人生)を豊かにすることを動機にする」ゲームをしてくれるといいな、という私の深い深い願いがあるのです。


ところが、「学んだものは、私の所有物だ」という思いが沸いたとたんに、無料で書き続けることの痛みが噴き出すのです。
お金と時間をかけて学んだものを、なぜ無料で提供するのか?と。


私の友人のお一人は、インドでの暮らしが長いのですが、お金の話をしたところ、
「インドでは、お金は個人の所有とは考えず、必要な時に、みんなで融通しあう文化があります。
日本からインドに行ったときに、お金の考え方が日本と違うことに、とても驚いて、苦労したのだけど、誰かが病気をしたり、進学するのにお金が必要になったりしたら、家族を超えて、みんなでお金を出し合って、なんとかするのに馴染んできました。」
とのことでした。

なので、お金を、個人の所有を離れて、みんなで「命に貢献するように使う」ことは、実現可能なことなんだと思います。

しかし、本当に実現可能であると、私が信じるのには、まだまだ時間がかかりそうです。

もし、素敵なお金の使い方の実践をされていたり、ご存じだったりしたら教えてくださいね。

もしくは、お金のことについて、ぜひおしゃべりをしましょう!

私が世界を信じるのに、とても助けになります。

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