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087 NVCやってるけど、話を聞いてない

例えば、家族と過ごしているとき、私はリラックスしていて、いわゆる「NVCの聴き方」はしていません。

OFNRなんて一切使っていませんし、あるとすれば、言いたいことの中の大事なこと(ニーズ)はなんだろうな~?と思うことぐらいです。


一時期、職場の面談の時に「OFNRの聴き方」を試してみたことがあります。

私の自己評価は、NVCを職場で実践した事例として誇らしく、NVC界隈で、周りに自慢していました。

ところが、後日知ったのですが、これは、とても不評だったのです。

職場を異動した後、当時の部下と、単なる仲の良い友人になったとき、「あの時のまささんは、ほんとに気持ち悪かった。詐欺師のようで、一切本音は話せなかった」と言われてしまいました。


同時に「NVCってよくわからないんだけど、人の話の聴き方?なんですかね。だけど、まささん、あんまり人の話を聞いてないですね。「ふーん」って感じで、流してることが多い気がする。」とも。

その話を聞いて、私は結構ショックを受けました。

あわせて、とても「ありがたい」と思ったのです。
本当に私のことを思いやってくれてるな~と深い愛情と、期待を感じました。

いまも、なぜこんなことを私は引き起こしたのだろうか?という謎があります。

今のところ仮説は・・・
まず、「意図をもってコミュニケーションする」というのは、それ自体、メッキで本体を隠しているような不誠実さが出てくるのだと思っています。

コミュニケーションは、人と人の間で起きますので、片方が知的に「なんらかの意図」を持ってコミュニケーションしようとした瞬間に、相手は「操作」や「嘘くささ」を敏感に感じるのだと思います。

みんなが生身でいる中で、ひとりだけ防護服を着て周囲と接してるような感じです。

この表現は、すごく繊細さがあって・・・・例えば、「茶道の先生の所作は美しい」けれど、「茶道の初心者の所作はぎこちなく、違和感がある」ような感じです。

この不自然さを、自然にしていくには、実践していくことだけなんだろうなと思います。

普段、何の意識もしていない時に、自然とあふれる共感の聴き方ができるといいな。
私にとって、それはとても大きな憧れです。

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