自分で自分に◯をあげられるようになった話。
昨年できるようになったことの1つ挙げなさいと言われたら、ぼくはこれを挙げる。
もともと、仕事をしていると割と1人で抱え込むタイプだと思う。
でもたいていのことは煮詰まるので、うんうん抱え込んで失敗することが多かった。
そして、周りから言われる。
「もっと思っていることを言ったほうがいい」
「恥ずかしくても相談しなきゃ始まらない」
「できてなくても、現状を教えてほしかった」
言われる度に、「それはわかってるんだけど…」という気持ちになっていた。
頭では分かっている。だけどその場面になるとできない。
というより、そもそも誰かに話した方が良い場面だということに気づいてない。
だから、アドバイスやフィードバックをくれていること自体には感謝の限りなのだが、「じゃない感」がどうしても拭えなかった。
ぼくは、できるようになるための具体的な方法を教えてほしかった。
でも結局分からずじまいで、だから、同じような失敗をたくさんし続けていたし、煮詰まってしまうことをとにかく恐れていた。
相談することは、ぼくにとって、ずっと越えられない中級くらいのテクだった。
しかし昨年、そんな場面が(ぼくの中では)劇的に減った。
明確なきっかけなどは正直ないのだけど、考えていたら要因は分かってきた。
昨年のぼくは、「自分で自分のことを許せる」ようになっていたのだった。
「煮詰まってはダメだ」
「プロジェクトを成功させないとダメだ」
「課題がまとまってないと相談してはダメだ」
ずっと、こう思っていたのだが、しかし昨年は、
「煮詰まることも、まああるよね」
「成功するかどうかは分からないけど、まあ頑張ろう」
「相談内容はちょっとまとまってないけれど、まあ一旦話してみよう」
「相手の期待を裏切るかもしれないけど、一旦やってみよう」
のように、なんていうか、いい意味で大雑把になれた。
ダメな自分に対して、許すことができるようになった。
振り返ってみると、何かがうまくいかなくなった時に、周囲からの期待は削がれていく。
それは自分にとって非常に悲しいし、寂しい出来事だ。
ぼくの場合、さらに「ダメな状態になっている自分はダメだ」のように、失敗を通してさらに自分を責めていたことに気づいた。
いや、なんならぼくの周りの人はありがたいことに、無闇に傷つくようなことは言わない。
だが、ただでさえ失敗したことで落ち込んで、さらには自分で自分に追い打ちをかけていた。
また、まあまあできていたこともあったことでさえ、
「あそこができなかった」「あれがダメだった」と思うことも多かった。
だから、すごく苦しかった。
自分を一番傷つけていたのは、他の誰でもない、できない自分を責める自分自身だった。
このことにぼくはずっと気づかなかったし、気づいたときに「自分、ごめんようー」と申し訳ない気もちになった。
自分のことを、自分がもっと大切にしたほうが良いように思った。
自分で自分に◯をつけてあげることを、ちゃんとやろうと思った。
たぶん、何かへの防衛本能だったんだと思う。
でも守っているようで、自分に対して実は攻撃していた。
その何かについて、1年間考えていたんだけど、今でも正直よく分からないし、もはや考えることをやめた。
どっちの自分がいいかなんてよくわからないけど、今の自分の方が楽に生きられる。
それでいいと思っている。
今日のところは、そんな感じです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?