(過去記事)芸術の余白と京都駅のホーム、来年の個展にむけて。
(この文章は過去に書いたブログの移植です。今後最新のものを投稿できればと思います)
2016/7/16
自分の次なる段階には、ある種の余白が必要だということは分かっていました。ただ修了制作以来、自分の手にあまるものは絶対に許さない責任感が先行し、その余白を自分がどう受け止めるかが問題でもありました。
そんな中で李禹煥の『余白の芸術』を読みながら京都へ。
ちょっとしたミーティングと京都芸術センターへ行くために。
道中、ホームで電車を待っていると、なるほど実はこれでいいのでは? という感覚がありました。
京都駅のホームは混み合います。
電車を待つホームの列に並んでる際、みんな列のつながりを意識してか、それとも横入りされるのが嫌からか、全く隙間を空けずに並ぶのです。
こういう時、僕は時々前の人と少し間を空けて立ってみます。
そうすると、ホームを突っ切って歩いている人は、その間を見つけて通って行くのです。
間がない列がホームにあると、なかなか人の流れも悪くなり、列自体の形もバラついてしまいます。
もしかしたらホームを歩く人は、踵を返して反対方向へ向かうかもしれません。
この間を余白と見たらどうでしょう。
そして列を作品としましょう。
人は列の間をみつけると、逆にそこへ吸い寄せられるように向かい、そして通過していきます。
その時、列には大きな歪みや乱れは起きません。
作品に余白があれば、逆にそれは求心的となり、そこを他者が通過する際には作品に大きな摩擦と乱れが発生することもありません。
この余白の方法論として、「身体」、「時間」、「他者/環境」、そして「試行の半永続」が今のところ考えられます。
最後の「試行の半永続」は修了作品展時に行っていたもので、おそらく一つはこの追及に自分がすべき方向性があるようにも思われます。
《鉄塔Ⅰ》(2015)は、修了制作展(といっても作品だけ出して休学)に出展したもので、その際表彰された作品へ、パフォーマンスとして自分自身が関わり、更にそれを撮影しておいたり、パフォーマンスの軌跡となるものを後に見返したりしました。
そこから次なる作品や行為への手がかりを見出し、形にしていきます。
ここではかなり意図的に「私」を分離し、外側へ外側へいくつもいくつも、客体化を促しその瞬間にまた別の「私」となるような行為を繰り返してきました。
平たく見れば作品を作る都度、自分自身の文脈づくりをストーリーテリングのように書き出しているような、単純なことのようにも思えます。
これがしたいことなのか、その時には分からなかったし今でも分からないのですが、とりあえずそれからしばらくたってからの制作には、かつて見出そうともしていた余白がまた見えなくなっていました。
しかしそれから1年が経った今では、簡単に言うと、次元の違う、目に見えないもの感じられないものを確実な形にアウトプットすることもできないので仮の形に目の前に表す、ということをしているわけです。
それが目の前に現れた瞬間、それは直ちに現実世界と融合し、その仮設性と実体性を侵食し合いながら、あらたな実体として現れるのです。
(詳しくは2016/6/13〈「仮設」を探る。〉へ)
この新たな実体として現れる一歩手前の瞬間を、他者へ委ねてみることも考えてみました。
来年、2017年3月下旬に、静岡のノア・ギャラリーさんで個展を開催する予定です。
【ノア・ギャラリー】http://noah-design.net/noahgallery/
要するにその際、他の身体表現者との関わりを持った中では、この仮設性と実体性がどういった融合を見せるのかを感じたいのです。
「その日のための試行 For the day」↓
まだどういったものになっていくのか、それをどこまで静岡という地で行うにあたってプロデュースする必要があるのか、これから作り上げていかなければなりません。
また仮設性と実体性がうまく侵食していくその場を作るためには、まだまだ行為も素材もしっかりと捉える必要があると感じています。
それは李禹煥の「出会う」瞬間のための抜き差しならぬ行為と素材の選定という、明確な意思をもちつつも、最終的には「理念の実現」というコンテクストの否定という、受動と能動を兼ね備えた状況への開放と意を同じくします。
でもそれがどんなものになるのか、今の僕にはまだ分かりません。
来年の3月までにはいくつもの試行と共に、その時点でのあらましを見せようと思っています。
ただ一つ言えることは、作る度に感じる、まるで喉に刺さった小骨のような何かが、ようやく取れたような気がするのです。
来月8月には1ヵ月ほどイギリスへ行ってこようと思います。
そこでまた色んな意味で打ちのめされるのでしょうが、それも含めて、学外初の個展となる3月下旬へ向けて全力を投じようと思うのです。