落合陽一の「質量への憧憬」に行ってみた
NewsPicksの茂木さんとの対談でこの写真展の存在を知った。
そのタイトル「質量への憧憬」
???
意味わかんねー。
ほんと天才って理解できないよね。
落合陽一さんとは自分にとっては至極不思議な人で、例えば日本進化論とかはもう脳震盪になるぐらい、何回もクビを縦に振っちゃう程に共感できる身近な存在なのだが、他方写真含めて落合陽一の内部はまさに宇宙そのもので、自分にとってナゾだらけの遠い存在なのだ。
茂木さんとの対談の中では忙しいながらも写真の選定などの準備を楽しんでる雰囲気だけはキャッチできた。
あー、この人の言ってることはワケワカンナイけど、とりあえずそのシツリョウが醸し出す雰囲気を写真に収めるのが好きなんだなぁと。こんな程度の理解でした。
で。普段からインスタやらツイッターやらで落合さんの写真は日常的に見てたんですが、その対談映像見た日以来、なんかこう、妙に痒くて。確かに痒いんだけどどこが痒いかイマイチ分からない、みたいな。
それが日に日に不愉快になってきたので、まー行ってみるかと。そんな軽い動機でふらり。
写真展とかむかーーし親戚のカメラ屋のおじさんの個展行った以来。もう何十年ぶりかの。
で、品川駅から風ピューピューの中、何回も鼻かみながら17分の歩行を経て現場着。
冒頭の写真。窓の文字。
んーなかなかカッコいい。
期待を胸にいざ会場入り。
そして先ずこのご挨拶文を拝読。
・・・
・・・
・・・
うーん、オレ日本語は読めるつもりだったんだけどねw
分かんね。オレの読解力では一回で理解するの無理っす。ほんと天才って理解できないよねー。
そのカチカチに凍った氷のような意味不明な文章は、寒空の下凍えながら会場入りした自分をその場にフリーズさせるには充分な冷たさでした。
しかもふと左を見ると。
ヒェ〜。何やら古びたブラウン管テレビが朽ちた雰囲気で無動作に置かれてて・・・何だかもうさみしくなっちゃう。
少しでも理解しようと思って来たのに逆に遠のいていくこの感覚ね 笑
まーでもすぐに帰るのもカッコ悪いので、とりあえず3回読みました。
どうやら
時間
質量
共感
刹那
この辺りがキーワードっぽいかなと仮説。んで、もうこれ以上何回読んでも恐らく無理なんで 笑 この氷の板の正体ポジションを隣のお姉さんに譲渡。
んじゃま。写真でも見るとするか。
窓からの風景。
波。
ほーん。
次はこれか。
カチッ!!!
ん?んんん???
おー・・・お、、、ぉ
おーーーー!!!
なるほどーーー!!!
そーゆーことね!!!
この日1時間強、様々な写真を見ました。どれもこれも素晴らしかったのですが、これが一番自分の中で説明がつくなと。しっくりきました。
その被写体の質量と時間経過の過程が醸し出す憧憬に、刹那性と共感性をビンビンに感じると。落合さんはそれを写真に収めるのが好きなんだなと。質量は自分的には質感とも捉えられるなと。
そういったことが頭ではなく、もっと自分の中の深い場所で、肌感覚で、あーそういうことかと瞬時に理解させてくれる写真でした。この一枚の写真が抽象するもの。今までバラバラだったワードが然るべき位置に配置されたことで、それを認識することが出来ました。
ゴツゴツした石たちとウェットな水たまりの自然造形。自然の営みの大きさと時間的長さに、役目を終えたであろう人工的な配管が交錯。パイプの擦れ具合にもそれ相応の時間経過を感じます。そしてこの先朽ちて完全に自然と一体となるであろう。そんな運命の過程の瞬間を切り抜いた一枚。
んー!なるほどー!鳥肌!
寒いなか来て良かった!w
文字だけを追ってたら多分この先もずーっと理解できなかったでしょうねー。
百聞は一見にしかず。
やはり現場にはいい情報があるものですね。
ここからはもう写真見るのが楽しくて楽しくて。
まだそこでフリーズしてるさっきのお姉さん横目にw こちらは意気揚々と会場の奥まで。
もはや落合さんの意図と一致してるかどうかは関係ありません。仮に落合さんがそれを否定したとしても自分がそう解釈出来ちゃったので、全ての写真がそれで説明がつくわけです。そこから醸し出される明るさ、硬さ、質感、暖かさ、湿度、時間の長さ、気持ちの明暗・・・もうなにもかも全部違うわけで、一枚一枚本当に味わい深い。
時間を忘れてご馳走にむしゃぶりつきます。
質量と時間経過が織りなす刹那性と共感性。
んー。実に美味い。
落合さんの写真ってなんでアンダーな露出が多いんだろ?って思ってましたが、なるほど。この時間経過が醸し出す刹那性を切り抜こうとすれば、自然とそうなるわけですね。
そして説明書き読んでて。うん!確かに!って思う落合さんの写真の魅力。それは静止画なのにどこか頭の中で動画として再生される感覚を覚えるのです。
それはたぶん、落合さんが時間経過そのものにレンズを向けているからなのかなと。
だから一枚見るたびに、自分の中で自分だけの動画が自動で再生されるのです。
故に視聴者はみな、固有の価値観や人生観をもってこの写真展に勝手に主体的に参加できるわけです。
これは素晴らしいではないか!
なんで無料なんだ!?w
たっぷり堪能させて頂き、退出。
おやっ?あの氷の看板。
あんなに凍てつく奴だったのに、帰りにはやや暖かみさえ帯びて自分を見送ってくれました。
ありがたやありがたや。
いやー、充実した時間を過ごさせて頂きました。
で、余談ですが自分は共感しちゃうと感化されやすい体質なのでw
品川駅までの帰路、iPhone5でパシャリ。
質量と時間経過が醸し出す刹那性に共感しながらシャッター切ってみたんだけど、どうよ?w
それにしても道行く人々の視線の冷たいこと冷たいこと。
こいつ何撮ってんだ?ってな視線を感じっぱなし。
そりゃー暗がりの中、割れた中華屋の看板を被写体に構図模索して右往左往してるんだから理解されるはずはないよな。
ん?周囲に理解されていない?
あれ!オレ天才じゃん!
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