きっと、ぼくは知らない
見るだけでもいいですか。
そう言って、ひとりの女性がお店にやってきました。
椅子やテーブル、陶器や布製品の前を立ち止まることなく、ゆっくりと歩きながらひとつひとつをご覧になっていました。
そして、ロッキングチェアの前で立ち止まったのでした。
よかったら、座ってみてください。揺れ方が違いますよ。
異なる仕様のロッキングチェアが2台並んで展示してあります。ひとつは背が高く、深く沈むように揺れるタイプ。比べてコンパクトで背にはリボンバックと呼ばれる装飾のある、揺れ幅の少ないタイプ。
コンパクトな方のロッキングチェアの前に立ち、しばらく何も言わずに、彼女はそれを見ていました。
どうぞ、よかったら。ロッキングチェアは体が休まりますよ。
興味を持って頂いているように見えましたから、だったら、ぜひ試して欲しいなと思ったのです。
女性は首を横に振りました。
それでも彼女はその場を離れず、じっと見ていました。
それから、抑えた声で言いました。
夫に買ってあげたいなと思って。
ロッキングチェアをご覧になった方の多くは、どんな座り心地なのかを知るために試されます。
ご自分の体で体感をし、ご自分がそれを使う状況を思い描き、いつか欲しいなあと仰る。
ロッキングチェアの前で女性がどんなことを考えていたのか、ぼくにはわかりません。
夫という、その方がどんなひとなのか。
なぜ彼女はここへひとりで来たのか。
なぜ、座らないのか。
なぜ、その場を離れないのか。
しばらくすると、彼女はお店を出ていかれました。
夫というその人は、当たり前だけど、彼女がロッキングチェアの前に立ち止まる姿を見ていません。
店員に言ったひとことも聞いていません。
どちらも、見知らぬぼくが見て、聞いたことです。
ぼくではなく、ぼくのように、彼が彼女を見ていたら、聞くことができたら、きっと、心はあたたかななにかに満たされるのではないかと思いました。
ぼくの大切なひともどこかでぼくのことを想い、ぼくのためになにかの前で立ち止まることが、きっと、あるのでしょう。
そのことをぼくは知らないまま生きている。
なんて、幸福なことでしょう。
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