今日も孫に思い出される
はじめてコーヒー飲んだのって、いつ。
朝食のテーブルで妻から言われ、思い出したのはどこかの喫茶店、ちいさな四角いテーブルの向かいにはじいちゃんがいる。
運ばれてきた白いお皿には、目玉焼とベーコンとホットケーキ。おやつでしか食べたことのないものを朝食として食べるって、道を外れた行為、という感じがして、心が踊った。
生きてる限りは楽しまなくっちゃ、といった言葉を聞いたわけではないけれど、思い返すと、じいちゃんは自身の人生をそんなふうに彩ろうとしていた。
時に、その行動は目茶苦茶といえるところもあるので周囲には迷惑を被ったり、傷を負うひともいた。
そのことに気がついていながら、じいちゃんは知らない振りをしていた。
その喫茶店はきっと東京。
いつものように突然現れ、下校中のぼくをつかまえ、車に乗せ、その日はじいちゃんとばあちゃんの家に泊まらせ、翌朝早く、電車で東京へ。
車内販売でサンドイッチを手に入れると、ぼくに食べさせ、東京に着いたら、本当の食事をするためにふらりと喫茶店に入る。
そんなときだった、と思う。
いつもは紅茶にするのだけれど、その日、ぼくはコーヒーにしたいと言った。
お前も大人になったな、とうれしそうにじいちゃんはコーヒーをふたつ注文した。
運ばれてきたコーヒーは思ってた以上に苦くて困ったのだけれど、飲みたいと言ったのはぼくなのだから我慢して飲んでいたら、さっとじいちゃんが席を立ち、しばらくすると細長い筒状のガラスのコップが運ばれてきて、それはバナナジュースだった。
ひとくち飲んだぼくに言う。
どっちが好きだ。
こっち。
満足そうに顔をくしゃくしゃにして、じいちゃんは頷いた。
ゆっくり食べなさい、そう言われ、ゆっくりしていると、何も言わずに立ち上がり会計を済ませて店を出て行くので、慌てて追いかける、というのもいつものことだった。
追いかけて、追いついて、じいちゃんはぼくと顔を合わせることもある、前を見たまま、ひとりで歩いているといった様子の時もあった。
そんなときは、ぼくも黙って、ひとりで歩いているつもりで通りの看板や行き交う人々を見た。
交差点で立ち止まるようなことがあると、じいちゃんは思い出したようにぼくに話しかける。
お味噌汁やスパゲッティにアサリがあっても、いちいち殻から出してられるかと食べない。
でも、ハマグリは食べた。
そこでぼくも、住んでいた家でお味噌汁のアサリを食べなかったら、じいちゃんの真似するなと叱られた。
ほとんど頭に毛は残っていないのに、毎週理髪店へ通った。
ばあちゃんは大きな声で歌をうたうけれど、決してじいちゃんは歌をうたわなかった。
ぼくだけには伝えておく、というような口調で、もうすぐ死ぬからなと言った。
じいちゃんはなにも後悔はないから、悲しまなくていいからな、と。
来年は生きてない、とか、葬式はこれこれこうするように、とか。
言われる度に我慢をするのだけれど、涙が流れた。
すると決まってばあちゃんが言う。
孫を泣かせて喜んでるんじゃないよ、こういう男は周りに迷惑をかけながら、いつまでも死なないんだから、心配するだけ損だよ。
中学生にもなると、じいちゃんが死んだらパーティーやろうね、と言うようになったぼくにがっかりすることもなく、もうすぐ死ぬと言い続けた。
なかなか死ななかったじいちゃんが死んだのは昨年のこと。
知らせを聞いたぼくはちっとも悲しくなかったし、いまも悲しくないし、きっとこの先も悲しくならない。
いなくなった気がちっともしないからだろうか、なにかというと、すぐに思い出す。
ついさっきあったことのように。