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彼への手紙と彼からの

幼稚園のちびちゃんのともだちが家に遊びに来ました。女の子のお母さんとふたりの弟もいっしょに。ともだちが家に来たのははじめて。
ちびちゃんはせっせとおもてなしをしたようです。
翌朝、ちびちゃんは女の子に手紙を書きました。
楽しかったということ、また遊びに来てねという気持ちを伝えるものです。
ともだちが持ってきてくれた、リンゴのように大きなプラムの絵が描いてありました。

さて、ぼくがともだちに手紙を書いたのはいつだろう、と思い巡らせると、高校1年生の頃を思い出しました。
同じクラスだった彼は、英語についての理解を深めるため、ニュージーランドへ留学をしました。
1年間のはずが、もっと勉強したい、ということで日本へは戻らず、ニュージーランドの高校を卒業することにしました。

その彼が留学する前、ぼくの暮らしていた家に泊まりに来ました。
灯りを消した部屋で、彼にしか話せないことがあり、ぼくはそのことについて話したと思います。
彼が聞いてくれたから、話せたことが沢山あったのです。
ぼくにとっての幸せがなんなのか、今はまだわからないということ。誰かに決められるのではなく、なにがぼくにとっての幸せなのか、見つけたい。
そんな話をしました。

できることなら、ニュージーランドへは行ってほしくなかったのです。
翌朝、自転車に乗って帰って行く姿を見送った後、悲しくてたまりませんでした。
また会える、と思ってもだめなのです。
すぐには会えないのだから。

そこで、教えてもらっていたホームステイ先の住所に手紙を書きました。
国際便は初めてだったので、書き方を調べ、ドキドキしながら。
手紙を出してから、どれくらいで届くのだろう、彼はぼくの言葉をどんなふうに受けとめるだろう、喜んでくれたらいいなと不安と期待でいっぱいでした。
もちろん、インターネットでメールを送ることが一般的でない頃のことです。

学校から帰って、机の上に彼からの返事が置いてあるのを見たとき、そうっと封を開け、一行一行をじっくり読んだときのことを、こうして書きながら思い出します。
それまで経験したことのない、うれしさでした。

彼の言葉から、彼の新しい生活、考え、目標を知ると、大幅な成長を感じ、ぼくもこうしちゃいられない、という気になりました。
それで、彼に手紙を書けるように、そんな出来事をじぶんで作るようになりました。
アルバイトをはじめたり、ライブハウスを借りて音楽をやったり。
書いて送ると、また返事がやって来て。

ある時、電話で話したいけれどお金がかかるからできないね、とあったので、近況をカセットテープに録音して送りました。
すると、ある日彼から電話がかかってきたのです。
テープを何度も聞いている、それを伝えたくてと。
手紙で書けばいいのに、と思いましたが、彼なりの感謝の表現をぼくは喜んで受け取りました。

時は経ち、大学への進学をどうしようか、日本の学校にするか、アメリカにするか、思案する彼。
一方、大学へは行かないと決めていたぼく。

一時帰国した彼と会った時、ぼくは彼に対して距離を感じていました。
手紙の中では彼との距離を変えることなくいられたのに、会うと違ったのです。
そのことに、居心地の悪さを感じました。

多分、彼のほうはそんな居心地の悪さを感じてはいなかったんじゃないかな。
ぼくの変わったところも、変わっていないところも変わらず尊重してくれていた、そんな気がします。

時が経つとわかることがあります。
その時も、わからないわけではないのだけれど。
大切なものをじぶんから手放す、その理由は当時のぼくだって、わからないわけではないのです。
だけど、その意味については、やっぱり、わかってなかったね。

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