コラム/ペンは剣より
久しぶりに、とても難しい論題を選ぶ。
体調が上がっており、かつ、こころが疲弊している。
この話を扱うには、ちょうどよい頃合なのだろう、というわけだ。
何度も書きかけては、スマホを措いた。そして、この経験、この感受の選択性は、私だけのものだろうか、と絶望して、布団をかぶった。
今回もまた、そうなるのかもしれない。だが、何度も失敗したからこそ、今度はうまく書けるはずだ、と自身を鼓舞する。
もしこの記事をアップできれば、それはある程度、満足のゆく表現をできたということだ。
その折には、拙論についてのあなたの意見、考え方を、ぜひコメントいただければと心から願っている。
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暴力には反対だ。端的に、まったく無意味だからだ。
上位者からの暴力をあきれるほど受けてきた。その多くは『教育』や『指導』の名のもとに執行されてきた。
数十年経ち、いま冷静に顧みて、そのどれひとつとして、教育にも訓導にも資していない。
50発ビンタで性根を叩き直すだの、足癖が悪いから足で分からせると蹴りを入れるだの、控えめに評価して、はるかに動物に劣る。
だが、私は彼らの暴力には、(奇妙にも?)傷つかなかった。当時から、今もなお、これらの屑どもを軽蔑し、憐れむだけだ。
だからこそ、彼らの獣としての自尊心を刺激し、何度も繰り返されたのかもしれないが。当時のことばで、「生意気なガキ」ではあった。
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私がこころに深傷を負ったのは、ほとんどが、軽蔑や揶揄に根づく暴言によってである。
ひとりの教諭の話をさせてもらう。Tの話だ。
この女教師は、小学1~2年の担任であった。まだ若く、熱心だったとは思う。日教組の活動にも熱心であった。
わたしが2年生のある日、何か忘れものをしたのだった。前に出され、ほかの児童の方を向かされた。
彼女はとても熱心だったので、6歳や7歳のこどもへの体罰にも躊躇がなかった――もちろん、皮肉だ。半ズボンの太ももに、ビンタを与えた。
その日、私が着ていたオフホワイトのトレーナーは、遠くの祖母が選んで、送ってくれたものだった。真ん中にカバが描かれ、その上に「かばさん」と書いてあった。
Tは、それを揶揄した。
「あんたは、かばさんやなくて、ばかさんたいね」。
そして、周りも笑った。
44歳のいい中年になったいまでも、これを何度も何度も思い出す。そして、7歳に戻ったように身体中が疼き、屈辱と不条理に、腸が煮えくり返る。
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私は、苦い記憶として数々の暴力を思い出す。そこには、時間による浄化がはたらく。その痛みは、もう遠ざかっている。
だが、暴言とは、終わりのない痛みだ、血清の存在しない猛毒だ。それは私を蝕んだ、ではない。私はいまも、それに蝕まれている。
精いっぱいの当てつけを込めて言えば、その暴言妄言による深傷、その猛毒によって、私はことばの猛威を習得した。
最良のことばとは――たとえ不可能であろうとも――誰もを傷つけずに、所与の目的をはたすことばである、と知るに至った。
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妻は、こころが不安定なときの娘に言う。「手を出すくらいなら、ことばの方がまし」と。
父である私は、そして、何も言わない。
何も言わないのは、あらかじめ冒頭に記した逡巡ゆえだ。何も言えないのだ。
私はへなへなと脱力して(常に脱力してはいるのだけど)思う。
彼女は、きっと間違っていないのだろう。2023年時点では、これが模範解答なのだろう。暴力は、何にも勝る悪なのだろう。
だが、同時に、私が釈然としないのは、ほとんどの暴力の引き金は、無神経で、ときにはひとの尊厳を刺し貫く暴言なのではないか、と直観するからだ。
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ふと『ペンは剣より強し』という金言を想起する。
若いころは、このことばを胸に孜孜と学びを続けたものだ。
そしていまは、ことばにこそ、ひとは銃刀以上の注意を払わねばならぬ――そう読める、そうとしか読めないのだ。