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小説/何となく
月明かりを頼りに浅い濠を渡り、櫓の前に立った。武市小太郎は、鍔に指を掛けた。
――最早。許してはおかぬ。
小太郎が四つの時、父上はなぶり殺しに殺されたと云う。さらに最愛の妹まつまでも拐われた。そして、敵共は呑気に酒盛りだ。
――だが。
小太郎は思いを廻らす。今、血気に逸って俺が乗り込んだとて、到底犬死は避けられまい。総ては闇へと葬られ、何をも生むまい。
鍔から指を離した。
――世論じゃ。
小太郎は懐紙を取りだし、日頃鍛錬した鮮やかな捻りで、同志に檄を飛ばした。
【仇案件】
如月十五日の子の刻、妹が拐かされ候につき、城攻めの同志を募り候。処ハ三日江城櫓前、人足ハ凡そ千ほどを募り候。報酬ハ応相談。平正衛(武市小太郎)
#RT希望 #仇討ち #MitToo
この当時の絡繰技術について、である。
忘れられているが、この小さな国の科学技術は、既に、現代の水準を凌いでいた。殊に、通信については、薩長土肥の蘭学者連が秘密裡に開発した、懐紙を介しての遠隔連絡、「呟イタア」や「印シタ倶楽部」などの網状瓦版は、幕政に反感をもつ民衆によって、有効に活用されていた。
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奇妙なことだが、維新後、それらは跡形もなく消えた。
西郷隆盛の、
――おいは、あげんとは好かん。
の一言が、徹底した廃懐紙政策へと繋がった。
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忘れ去られた歴史を、ここに書き残すのも、あながち無意味ではあるまい。
閑話休題。
小太郎の檄に、続々と複写が飛ばされた。
尻平讃岐守の緊縮改革は行き詰まり、諸色高直、諸人難儀の折。
浪人のみならず、鋤や鍬を担いだ百姓達もが、櫓の前に集まった。その数六千余。
小太郎の鬨の声に乗り、ほぼ無人の城は呆気なく落ちた。
腰抜けの家老どもを討ち取り、殿は柱に縛りつけた。だが、肝心の妹は何処にも見当たらなかった。――やはりな。
小太郎は、勘づいていた。
まつは、出入りの大工と欠落ちしたのだ。無論のこと、城は、全くの無関係である。
――皆の者、静まれ。
小太郎は、声を上げた。
――巨魁の天誅は果たされたり。お主らは義を果たしたのじゃ。この城の物は全て、お主らがめいめい持ち帰られよ。
雄叫びを上げ、掠奪に湧く者共を尻目に、小太郎は、放心した。
――やべえ、どうしよっかな。
太刀を抜き、殿の縛りを切った。必死で逃げようとする殿を、後ろから切り捨てた。
――長崎にでも。
姿を、眩ますつもりである。
手早く遺書を残し、城に火をつけた。
そして、懐紙を取りだし、手早く早駕籠の手配をした。
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――あるいは、父上も。
死んだふりして、長崎あたりで、博打をうっているのではなかろうか。
己のこの血を顧みて、小太郎は、どうもそういう気がするのである。