言わなくてもわかることを【冒頭小説】
「わざわざ言うから良いんじゃん」
グラスの氷をカラカラと楽器のように鳴らしながら女が言った。
相手に気持ちが通じていると分かっている関係がある。恋人同士とか夫婦とか。
相手のこと好きなんて当たり前のことを、その言わなくてもわかることを、「わざわざ言うから良い」のだと。
僕は彼女でも友達でもない、今日たまたま隣の席に居合わせただけの女の顔をぼんやりと見ていた。その持論を聞きながら。
彼女曰く、気持ちを察して欲しいなどと言うのは男の怠慢であって、女性に常に気持ちを伝えるべきなのだと。
次の酒を頼むかどうか悩んでいた。氷で埋まった薄い金色の液体を眺めていた。
そもそもどうしてこうなった。
最初声をかけられた時には、下心からこまめな相槌を打っていた。
だがいよいよこの女は話を聞いてもらう相手を求めていただけだという事実を確信するにつれ、興味は薄れていった。
硬い椅子の素材で尻が痛かった。
「下心で話を合わせてただけなんです」
これも言わなくても分かるだろうと思った。
こちらの声を遮って一方的にされる話が面白いわけがない。俺がニコニコして聞いているのには訳があるのだ。
俺はそれでもやっぱり女の持論に沿って、わざわざ口に出すべきか考えていた。
だが結局はめんどくさくなって、次に彼女が席を立ったら、金だけ置いてこの場を去ろうと決めた。