オレンジの船
「タクシーってお金かかるんじゃないの?」
と不安げに母さんに聞くと、「うるさい、しっ」と言われて肩のあたりを手の甲ではらわれた。俺は母の手の硬さに驚いた。
「どちらまで?」というタクシーの運転手に母は僕の知らない土地を伝えた。タクシーの運転手は承知して走り出す。自分だけ仲間はずれじゃんと思った。
「ちゃんと座りなさい」と
「暴力だー、いけないんだー」といつもなら母さんに言ってヘラヘラ笑えるのだが、今日はそうもいかない。
タクシーの座席に白のレースカバーが張られていて、それがカッコ悪いと思った。なんか嘘っぽいし、本当は運転手のおじさんもこんなものつけたくないのに、お洒落じゃないのになんで?と思った。
だからさっきからそれが言えなかった。それを言って母さんが、「そんなことないよー、かっこいいじゃんー」といつもの調子で優しく答えてくれる自信がなかった。もう一度手の甲が飛んできたら、また泣いてしまうかもしれないという予感があった。
今まで思ったことはなんでも口にしてきたのに、昨日の夜から思ったことを言えていない。これが空気を読むってやつかもしれない。
今日から夏休みに突入した。早速4年2組のみんなと遊ぶ約束をしていた。よっちゃんとは4年になってから初めてクラスが一緒になって一気に仲良くなった。よっちゃんが「たかぴーもくればいいやん」って言ってくれて混ざれることになった。よっちゃんは3年の時、俺がいじめられてたのを知らない。4年2組の他のみんなもなかったみたいに「そうやん、そうやん」と言ってくれた。この夏休みが輪に戻るチャンスだったのに。
自分がいじめられるギリギリだってことがわかっていた。せめてよっちゃんの家に電話させて欲しいと笑いながら言ったけれど、「うるさい」と一蹴されて昨日はちょっと泣いた。
夕方、暮れていく国道を母さんはダイハツの軽でひたすら南下し、明石の港までやってくると、売り場でチケットを購入して船に乗っていく。
お菓子を渋る母さんが迷いなく財布からお金を出していくのを見て怖くなった。大丈夫?と聞いても反応はない。
最初は母さんと二人の旅行だと思っていたけれど、どうやら違うということが分かってきた。
フェリーでタオルケットをもらって、知らない人がいっぱいいる部屋で横になると、
「あんた、お父さんと私が離婚したらどっちに着いてくるん?」
と母さんに聞かれた。
「知らん」とだけ言った。
昨日まで住んでいた団地の部屋よりも大きな2階建ての家に着いた。
「今日からここで住むから」
ここどこなん?と聞くと、母さんは「シコク」とだけ答えた。
昨日から何がなんだかわからないままここにきた。
今わかっているのは今日からシコクに住むということ。
そして父さんと母さんは今、離婚しそうなのだということだけだった。