15秒で「損した」と感じる世界(タイパについて)
短いコンテンツが生まれて、たった15秒でも損したと思うようになった。
テレビしか無かった子供の頃は、トイレに向かう数十秒が、「無駄になっている」とは思わなかった。
だってテレビは時間が決まっているし、録画したものに関しては、やはりテレビの前にいなければ見れないのだ。
最近だとトイレに座りながら、スマホを触ったり、トイレに向かうまでの道中もイヤホンを耳に挿して何かしら聞くようになった。
細切れの時間がたった15秒あれば、「もったいない、何かできる」と思うからこそ、緊張感があるのかもしれない。
1秒たりとも無駄にしないコンテンツの飽和な状態にいるから、何か損した気分になるのかもしれない。本当は何も考えずにボーっとできることもそんなに悪くないはずなのに。
今日も心が忙しない。