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知らない楽器

SNSで動物を見るのが好きだ。
猫や犬のことをここ数年で大好きになったのだが、旅立ってしまったときのことを考えたりすると悲しすぎるし、それに簡単に可愛いだけで飼ってはいけないと思う。命を預かることにはそれなりの覚悟が必要だし、残炎ながら今の自分にはその余裕が少し足りていない。

だからネット上で見ることで我慢している。1日に何本も動画を見ている。
写真や動画を見るだけで、彼ら彼女らの名前が分かる。

動画を見ることがやめられないのは、動物が可愛いのはもちろんのこと、もうひとつ大きな理由がある。

不意に心を打つBGMだ。

猫や犬の可愛さを超えて、目よりも耳に意識が持っていかれる素敵な曲がある。有名な歌手がリリースしている曲ではなくて、楽器だけのイントロが好きで、中でもたまに音を聞いても楽器の形が思い浮かばないものある。
その音がたまらなく好きだということにも気がついた。

どういう演奏をしてその音が鳴るのか、想像できないものにワクワクする。
そしてその音を聞いていると、なんだか自宅から離れたどこか遠くにいるみたいな気持ちになる。

まっすぐに整った白いシーツや何も置かれていない机。華美ではないが「新品」を感じるビジネスホテルにいて、外は夕暮れを過ぎて黒。代わりに建物が柔らかくでも堂々と光り始めている。
遠くの灯りが船の輪郭を浮かび上がらせて海が近いとわかった。

自分は誰か大切な人に会う前にここに荷物を置きにきた。ちゃんとついた安心感と、これからの楽しみな予定で心が静かに踊っている。
予定まで時間がある。一度シャワーを浴びてここまでの道中の疲れを流すのもいいかも知れない。
待ち合わせを1時間早くすればよかった。待ち切れない。遅刻しては申し訳ないからと思ってのことだが、この数時間は長く感じるだろう。でも仕方ない。待つのも楽しみだと思おう。初めて訪れるへやだけど、深呼吸してみたいくらい体に空気が馴染んでいる。

そこで音楽が切り替わる。ガチャガチャした音と、早送りで完成する油絵の動画に切り替わる。そうだSNSを見ていたと思い出して画面を見る。綺麗な絵画が完成したが、なぜか先ほどのような没入感を与えてはくれない。スワイプする。
何回もピンポン玉をフライパンとか階段にバウンドさせて紙コップに入れるチャレンジ動画が流れ始める。
それはそれで面白いけれど、遠くには連れて行ってくれない。見たいのはこれじゃない。

また画面をスワイプする。今度はマジックの種を明かす動画。違う。美容院でのビフォーアフター。違う。海外サッカーのゴールシーン。違う。トルコアイスの意地悪な店員。違う。
なかなか目当ての動物が見当たらなくて、諦めてアプリを閉じる。
「諦めて」なんて勝手に人の投稿を除いている身で、まことに無礼な言い草だが。

それにしても一体あの楽器はなんというのだろう。
弦を弾いているのか、何か円盤状の金属を叩いているようにも聞こえる。どうぶつの森のゲームのBGMに似ているものがある。でも全く違う気持ちになる。それを聞くとオリジナルな音だと思う。

そうやって疑問には思うけど、あえてそれ以上の追求や検索をしない。
知らないままでいたい。
そういう気持ち分かりませんか?

この世の中に、まだ自分の知らない素敵な楽器がある。
そう思えることが漠然とした窮屈さへの武器でもあるし、なんとなく先を想像してしまいがちなこの先の生活に誤差を与えてくれる気もする。

気持ちが広がっていくのを感じる。

まだ知らない素敵な疑問がいくつあるだろう。
まだ知らない素敵な音がいくるあるだろう。
自分が予測しているよりも、この先感動することがたくさんあるかも知れない。いや、きっとたくさんある。
あの知らない楽器のことは、これからも知らないでいたい。

知らない楽器がひとつあることに勇気づけられている。

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