一瞬の夢と悲劇 東京オリンピック 男子4×100mリレー
一昨日、僕が東京オリンピックで一番楽しみにしていた勝負が行われました。
陸上競技 男子4×100mリレー決勝
前回リオオリンピックで銀メダルを獲得した日本のリレー侍は、
今回ホームでの金メダル獲得を目指していました。
前回大会から5年、陸上競技で、トラック種目で日本が世界の頂点に立つ…
陸上をやっていた僕にとって、その光景を目にすることは夢でした。
乃木坂46のオンライントーク会でも、推しメンに注目の競技を聞かれ、
リレーだと答えました。
「めっちゃかっこいいので、注目しといてください!」と。
そして、勝負のレース。
5年間、みんなの夢をバトンにのせて、リレー侍出陣
しかし
結果はあまりにも残念で、悲しく、悔しいものに……
1走の多田選手の走りがとても良く、
見ている僕のボルテージは高まっていきました。
予選は少し調子が振るわなかったけど、
チャンスはまだある……いけるかもしれない……!
一瞬、夢を見ました。
夢は、一瞬で散ってしまった……
2走の山縣選手にバトンが渡らず。
走りきることができず、失格になってしまいました。
呆然としました。信じられなかった。
バトンが渡らないというシナリオは、全く考えていなかった。
日本のバトンが渡らないことはあり得ない。
それすらも考えていないくらい、バトンが渡るのは当然のことでした。
それが、まさか……
ボルトのラストランの時の衝撃を少し思い出しました。
あのボルトがラストランで走りきれなかったことも、今回のリレーも
大舞台でまさかの事態は起こるものなんだなと。
陸上は一瞬の勝負
レースを走る瞬間、跳ぶ瞬間、投げる瞬間
その一瞬に、今までの努力、時間、想い、自分の全てを懸けます。
自分の全てを懸けた一瞬、そこにあるのは光か影か。
その一瞬で、夢が叶うか、散るか。
一瞬だからこそ、叶う時は輝くし、散るときは残酷です。
選手たちへの温かい言葉が多く寄せられているようで、安心しています。
しかし、僕はなんと言葉で表現したらいいのか迷います。
高校時代に走高跳をやっていて、
県大会には進めるけどいつもそこで結果を残せなかった僕は、
県大会に出れるだけですごいとか、そのような励ましを周りに言われるのが一番嫌でした。
だから僕は、今回のリレーに関して
次があるとか、ここまでの過程が素晴らしかったとか、
日本が決勝に行けるだけですごいとか、
そんなことは簡単に言いたくはないです。
東京オリンピックというこれ以上にない最高の舞台
そこで金メダルを目指すというチャンスは今回だけ。
次の世界陸上では、とか
次のパリオリンピックでは、とか
メダルへ挑戦するチャンスはまだまだあるけれど、
「東京で」という想いを果たせるチャンスは今回のみ。
そこで結果を出せなかった。走りきることすらできなかった。
僕は正直、ショックです。悲しいし、つらい。悔しい。
そして、観てるだけの人間がこんなに悔しいのだから、
本人たちはきっと、陸上人生で後にも先にもないくらい
やりきれない思いだと思います。
きれいごとを言うのは好きではありませんが、
レース後、痛恨のミスをしてしまった多田選手と山縣選手のもとへ
走れなかった桐生選手と小池選手が駆け寄る姿は、
なんだか、美しかった。
今大会、中距離でも有力選手が二人転倒してしまう場面がありました。
その後二人は強い握手を交わして立ち上がり、共にゴールしました。
その姿は、美しかった。
一瞬に懸ける想い、儚く散る夢
支え合う姿
オリンピックはやはり最高の舞台です。
そして観ているだけで、これほどにも感情を共有できる。
スタートの瞬間の緊張、走り出した時のボルテージの高まり。
一瞬が終わった後の喜び、悔しさ。
次こそは、と燃える闘志。
一瞬の中にこんなにも感情を共有できる。陸上の魅力です。
僕は小さい頃、陸上選手になりたいと思っていた時がありました。
しかし、小学生ながらに才能という越えられない壁に気づき、
花形の短距離では自分は敵わないと感じ、走高跳を始めました。
いつしか、陸上選手を夢見ていたことが恥ずかしいとすら思うようになっていました。
大学生になり、ついに競技から距離を置きました。
それでも、陸上のことはずっと好きだった。
テレビで観ていると、ワクワクしていた。
日本のリレーの挑戦を観ていると、
自分も夢を追いかけているような、ワクワクした気分になります。
選手は僕たちの夢ものせて走っている。
そして、僕たちは選手の夢を、感情を共有できる。
夢を諦めた人間に、夢を追いかけるワクワクを思い出させてくれる。
選手たちは僕たちの誇りです。
夢を感じさせてくれて、ありがとう。
また、日本の流れるような美しいバトンパスが見たい。
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