甲状腺ガン、多発性肺転移の肺炎
僕は、甲状腺濾胞ガン、多発性肺転移と骨転移だ。
普段から気を付けてはいたが、肺炎に3度なってしまった話。
1回目は、アイソトープ治療❤️🩹が出来なくなった。どうやら不対応だ。
早い話しが、もう放射線治療は効かない。
メリットが全くないと言う事だ。
放射線で身体を、痛めつけるだけで、ガン細胞は小さくならなかった。
そんな時、仕事がすごく忙しかった。
少し、風邪のような症状が出てきていた。
風邪薬を、処方してもらい様子を見ながら、仕事はどんどん激務に。
休日も休む暇がない、夜も遅くまで
そんな時、心臓の音がとても大きく自分に聞こえてくる
「ドンドン、ドンドン、ドンドン」
こんなに大きな音が聞こえるほど、なんだこれは?
そうして2日すぎた、口から、カプセルを溶かしたような味がしてきていた
それから、上を向いて寝ることができなくなっていた。
この時にはすでに肺炎になっていた。
まだパルスオキシメーターを持っていなかった頃だ。
あんまり寝れなかった、身体を必死で起こし
着替えて、会社へ行った。
容体がどんどんおかしくなってくる。
なんだこれは、息がしにくいぞ、、、
この時は、まだ酸素は吸っていない。
歩くのもやっとになっていた。
これはダメだ、早退すると社長に告げてから
同僚に、肩を貸してもらいなんとか家に戻る事にした。
帰りの道中、もう息がほとんどできない状態になりつつあった。
かかりつけの病院に電話をして、すぐ行くから見てほしい。
症状を伝えて、なんとか病院へ行けた。
身体は、汗びっしょりだ
スーツが汗だくになってる💦
そして、そこで酸素飽和度を測ってもらった。
77と数字が出た、いやいやありえへんやろ。
そしてすぐに酸素ボンベを持ってきてもらい
毎分1リットルで、酸素飽和度85まで
段々と苦しくなってくる。
かかりつけのの病院は小さいところなので、
いつもの大学病院へ連絡を入れてもらい、主治医に伝えてもらった。
おそらく重度の肺炎だから、救急車に乗って🚑今すぐ来なさい。
ベッドはすぐ用意しておくから。
そして、10分もしないうちに、救急車が来てくれた。
大学病院までは距離がある、高速道路を使い🛣最速で行ってもらった。
大学病院に着いたら、そのまま主治医のいる処置室へ。
すぐに腕に点滴用のルート入れられて、レントゲン撮影して
病棟へ上がった。
ナースステーションの横にある個室に入れられた。
ピコンピコン、ずっと音が鳴っている。
指に酸素飽和度測る機械付けて93下回るとピコンピコンなるようだ
酸素は9ℓ、マスクで下に袋がついているやつだった。
もうめちゃくちゃ苦しい、息ができない。
だんだんと自分の意識が遠のいていくのが分かる。
周りの声が聞こえなくなってきていた。
目の前に何か見える、うっすらとなんだこれは、死ぬ間際に走馬灯のように、いろいろ思い出すってこう言う事かと感じていた。
このまま、悪化すれば、
喉を切開して管を通して処置をするとのことが聞こえる。
いつのまにか親、兄弟、嫁さんもいる。
何時間足ったのかさえもわからない。
僕は、ステロイドが効いてきたのか、少し意識が戻り出していた。
喉の切開はやめてくれ。
それはしなくていい、
必ず回復するから❤️🩹と嫁に言い残してまた意識がなくなりかけていた。
翌日、どうやら峠は越えたようで、結果的にステロイド1g×3日施行。
安静時は02freeまで改善
肺炎も起きていたが、癌性リンパ管症であった。
ここから、HOT導入して、家に酸素の機械と酸素ボンベを帝人さんで提供してもらいました。
そして身体障害者手帳も取得となっていきました。
呼吸苦というのは、周りには分かりづらく、本人には地獄の苦しさです。
今、猛威を奮っているコロナも、呼吸苦が出てきます。肺炎を起こします。
呼吸ができない辛さを舐めてはいけません。
肺炎を舐めたらあきません。
仕事が忙しくても、自分の体を大事にしてください。
命より大事な仕事なんてありません。
僕が助かったのは、いろんな奇跡が重なったから生きてます。
主治医の判断や処置が早かった。
救急車がすぐ来た、渋滞が無かった。
肺炎で入院した時の写真は、携帯に残してます。
入院した時の患者が腕にするリストバンドは戒めに持っています。
もう肺炎では入院しないようにと。
当時飲んでいた薬は💊これです
チラーヂンs錠50μg 3錠
チラーヂンs錠25μg 1錠
ザイザル錠 5mg 1錠
クラリス錠200mg 1錠
アルファロールカプセル1μg 1CP
ムコソルバン錠15mg 2錠
ムコダイン錠500mg 2錠
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