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人生で初めてレギュラーになった独立リーガーのお話 クラブチーム編

お久しぶりです!

そして、今回の投稿についてですが

今まで分けて投稿させていただいたお話の最終話的な感じになってます。(現段階では)

クラブチームに入団してから当時のレラハンクス富良野BCにトライアウトで指名をしていただいて、ブルーリッジに入団するまでの

ふつーの大学生しながら野球をしてた時期のお話をさせていただきます笑

実は今もちゃんと大学生なんですよ笑
(知ってるわ!と思った方すいません。)
授業もちゃんと受けてます。
オンラインだけど。

とまぁいつも通り書かせていただきので、読みにくい部分等あると思いますが温かい目で見守ってください

今回はいつもよりちょっと長めになるかも知れませんが、最後までお付き合いください!

入団

大学入学後、神奈川県の連盟に所属するJABA登録のクラブチームである「京浜野球倶楽部」に入団する

この京浜野球倶楽部との出会いが普通の大学生活を送る予定だった正木の人生設計を大きく変えることとなる

京浜に入団してから大学生しながらクラブで野球をする生活が始まるのだが

まぁ楽しい笑

実家暮らしなのでバイトしたお金も自由に使える。平日は基本フリーなのでバイトして、友達と遊んで、土日は野球して

そんな生活を続けていました

さらに、野球の面でも変化が起きてきます

チーム事情で内野手が少なく、さらにオープン戦に毎回人が揃うわけではないので

オープン戦に関しては高確率でスタメンで使ってもらえていました
二遊間を守れる選手が当時いなかったのでほぼフルイニングで出れる

率直に、嬉しかった。

試合に出る事で今まで知らなかった課題が出てくる。それを数少ない練習の中で潰していく

そのサイクルがとても楽しかった

しかもチーム全員、向上心があって野球が大好きな人ばかりなので一緒にやっていて本当に楽しい

夜勤明けで練習に来る人や、仕事が休みの日を練習にあてる大人達の姿は本当に尊敬していた


おかげで暇な日は練習ばかりしていたので、けバイト代の多くが練習に使う場所代や交通費で飛んでる時期あったな、、笑

そうしてるとやっぱり

野球って楽しい!もっとやりたい!

そう思うわけですよね。
当時はもう野球覚えたての小学生みたいなもんです

そんな野球への気持ちが少しづつ変わり始めるんですよね、、、


きっかけ

大学1年の秋頃

バイト、野球、遊ぶ、たまに課題

この生活にも慣れ始めた頃、少しづつ正木の気持ちに変化が現れ始める

なんか物足りない

バイトも大学も楽しい
遊んでくれる友達もいた

ただ、もっと野球がしたかった

試合にも出してもらえて、練習もできていて
不満があるとかそんなんじゃない

毎週の活動が最高に楽しかったので毎週末がとても楽しみだった。だからこそ、週末の活動のみでは物足りなく感じていたのだろう

そんな時期、Twitterをぼやーっと眺めていると度々目に入るツイートがありました。

各独立リーグの合同、球団トライアウトの広告ツイートだ

その頃から自分のGoogleの検索履歴に度々残るワードがある

独立リーグ トライアウト

この時、誰に言うでもなく一人でこっそりと決めていました

来年独立リーグのトライアウト受けよう

そう決めたのです

そんな年末、県内の他のチームの方と合同で自主練を行う機会があった

そこで来シーズンからBCリーグの球団に入団する事が決まっている選手数名と練習させて頂けたのである

同じ県内のチームの方々なのでプレーは見たことあったのですが、間近で見るとやっぱり上手い

年下の子でも自分より全然上手い

それを見て、また中学生の部活を辞めた頃の様に思ってしまうんですね

こうなりたい。と

ただ、それ以上に

色んな上手い人達と野球をしてみたい
その中でどこまで自分がやれるのか試してみたい

そう思ったのです


コロナ

年が明け、トライアウトに向けて頑張ろう!

そんな時にですよ。やつらがやってくるのは。

確か春休み頃だったはずです
世の中がコロナ禍に突入します

グラウンドが使えない、施設も空いてない
ひたすら実家でトレーニングと素振り、たまに公園で弟とキャッチボールと壁当て
その繰り返しの日々がしばらく続いた

そんな世の中でも正木の検索履歴には「トライアウト」の文字が消えなかった

そんなある日、おもしろそうなリーグを見つけます

北海道ベースボールリーグ

新設されたリーグでチーム数も少なかったが、新しくチームも増えるらしい

北海道、おもしろそうだし行ってみたいしとりあえず受けよう
最初はそんな感じだった

ただトライアウトは8月にやるらしい

トライアウト8月か、都市対抗予選の日程と被らなきゃいいな笑

大体そういう嫌な予感って当たるんだよね、、

確か7月だったはずだ

都市対抗予選の日程がでた
驚きすぎて今でも覚えている

8月10日 HBL合同トライアウト
8月11日 都市対抗予選 一回戦
8月12日 都市対抗予選 二回戦

えっと、、ちょっと待て笑

まず被らなかった事はよかった。うん。

10日にトライアウトだから9日には北海道に行きたい

で、10日トライアウト受けたらその日に帰って、次の日試合?笑

しかも二回戦次の日やん

うわ、、よく見たら1回戦第一試合だし

これ、やばいな
今まで1番ハードな日程だわ

しかもトライアウトに関しては私情すぎてチームに迷惑はかけられない

もう覚悟決めるしかない。

そんな謎の決意を胸に初めて1人で飛行機に乗って北海道へ向かった

そんなこんなで正木の人生の中でも忘れられない三日間が始まるのです。

当日

美唄、、遠いって。。。

車の免許を持ってない正木は新千歳空港から美唄まで電車で向かっていた

正直、北海道の広さを舐めていた
あんなに電車に乗り続ける経験はなかなかしないだろう。

さらにトライアウト当日もタクシー代をケチった結果、美唄駅から美唄市営球場まで30分近くかけて歩く羽目になった

テスト前に身も心もヘロヘロである。

トライアウト直前、本当に吐くんじゃないかってくらい緊張していた

まず、目に入ったのが当時のレラハンクス富良野BC代表であった佐野さんである

SNS等でよく見ていた人。というのはあるのだが
体でかいし、ジョーブレーカー派手だし、雰囲気あるし、普通にびびった。笑

アップ中、同じ神奈川県のクラブチームのユニフォームを着た人を発見して声をかけたがめっちゃ塩対応されてすごく落ち込んだ

後に同じチームになる青木匠である
これに関しては今でも恨んでいる。

しかし、後に今シーズン石狩レッドフェニックスでプレーすることになる 

土屋さん、小林さん、平山さんの3人に声をかけていただいてだいぶリラックスできた記憶がある
(平山さんに関しては当時同い年だと思っていたけどシーズン中に一個上だと知った事は秘密🤫)

実際にプレーに移る頃には緊張もほぐれ、いつも通りのプレーはできていたように思う

ただ、何か特別にアピールできていたかと言われるとそうでもなかったなぁ

トライアウトは無事に終了したが、元々当日にドラフトの結果が出る予定が後日SNSで発表に変更になり

今日結果出ないのか、、、と思うと不安と期待でいっぱいだった

そんなふわふわした気持ちのまま、落ち着きを取り戻す事なく帰路に着いた。

しかし、帰りの飛行機にはすでに次の日の試合の事で頭がいっぱいになっていた

絶対明日朝起きれねーわ、、、

都市対抗予選

確か3時間睡眠とかだった気がする。

トライアウトの興奮と次の日への緊張と、朝起きれないんじゃないかという恐怖心とで中々寝れなかった

ちなみにだが、この大会も含めて公式戦では一度もスタメン出場することなくクラブチームでの活動も終えた

フルメンバーとなるとスタメンには割って入れなかったのである

トライアウト翌日の11日

あり得ないくらい体がバキバキになっていた

本当に足も肩も動かない
キャッチボールでも頑張って塁間くらい

今日、出番あったらどーしよ。

そう思うくらいだった

試合に勝利し、その日は出番はなかった


帰りの車の中でTwitterを何度も更新してるとHBLの公式アカウントのツイートが浮かび上がってきた。

レラハンクス富良野BC
5位 マサキ レン

先輩が運転してくれている車の中で思わず声が出るほど嬉しかった

興奮しすぎて引かれてた気がする

今考えると、体の線も細くてそこまで足も速くない。そこまで特筆する所のない内野手を獲得してくれた佐野さんには本当に感謝しかない
(ドラフト5位ですけども)

佐野さんがいなかったら北海道でプレーする機会すら与えられていなかったかもと思うとゾッとする
(ドラフトは5位ですけど)

これで心置きなく2回戦の試合に集中できる
(まぁ8人中5位だけど)

いや、1回戦もちゃんと集中はしてたけどね。

そんな次の日の2回戦

アクシデントによって途中出場した後の第一打席

人生で初めて公式戦でヒットを打った

この一本を打つのに何年かかったのだろうか

試合には負けてしまったが、個人的には記念すべき試合になった

ただ、やめる前の最後の大会で勝ち切れなかったことは本当に悔しかった。

こうしてクラブチームでの最後の公式戦の幕を閉じた

それから

そこから入寮まではあっという間だった

大学を辞めて通信制大学に編入する手続きに関してはめちゃくちゃ大変だったけど

それ以上にレラハンクスがブルーリッジになった事には驚いた

まぁやる事は変わらないだろう。とそこまで重要視はしていなかったんですけどね

その後の南の島のアルバイトでは色々な人と話ができた

この時、悠太さんと
(この前遊んでたら鎌倉で人力車の客引き中の悠太さんに会いました)

今シーズン二遊間組みましょう!

とか言って本当にシーズン通して二遊間を組む事が出来たのは嬉しかった

この期間で特に長い時間お世話になっていたのは、恩人・佐野さんと師匠・藤田さんだったと思う

今考えると中々の贅沢である。

ちなみに師匠に関しては公認です
だいぶ前ですがちゃんと許可とりました

藤田さんには守備からバッティングまで色々なことを叩き込んでいただいた
シーズン中もずっとお世話になっていた


正直、自分の野球人生の中で自慢できるような事ってあまり無い

ただ、1つだけ胸を張って言えることは

周りの人の良さ

だろう

色々な人に色々な事を教えていただいて、沢山お世話になって今の自分がある

きっとこれからもそうだろう

だからこそ、自分が先輩達にしてもらってきた事を自分自身でより多くの人にしてあげられるようになりたい

と思っている

その為にもまずは来シーズン、オフの間にもっと力をつけてみなさんの前に戻れるように精一杯やろう

今までお世話になった方々にプレーで
恩返しができるように


最後に

いかがだったでしょうか

これまでの話を通して 正木蓮 という野球選手がどんな人間なのか、どんな選手なのか、伝わっていたら嬉しいです。

今回、いくつかに分けて書かせていただきましたがこれからもnoteの更新は続けていこうと思っています

悠太さんみたいには書けないので何かテーマの希望やネタ等ございましたらご連絡頂けると助かります

次書くのはいつになるかなー笑

ちなみにこれは最終回ではございません!!

自分が野球を辞めるまで

人生で初めてレギュラーになった独立リーガーのお話

は更新し続けようと思っています。

なので最終回はもう少し先伸ばしにしたいな笑

ということで


長々と書いてきましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました

では、またいつか
次の更新をお待ちください

ありがとうございました







































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