人生で初めてレギュラーになった独立リーガーのお話 高校生編
皆さんお待たせいたしました!!
(誰も待ってねーよのツッコミお待ちしてます)
前回の小学生〜中学生編の続きとなる高校生編になります!
前回のまとめのところで
次は高校〜クラブチーム編です!
と告知していたのですが、高校編が思ったより長くなってしまい
読みにくい文を長々書いても飽きるよなぁ笑
と思ったので、高校編とクラブチーム編で分けて書かせていただく事にしました。
いないかなぁーとは思ったのですが、楽しみにされている方がいらっしゃったら申し訳ございません🙇♂️
ここ最近バタバタしてるので落ち着いたらできるだけすぐに続きに取り掛かるので少々お待ちください!
ここからは本題に入るのですが、、、
少しだけネタバレをすると高校、クラブチームに入ってからは色々なポジションを守り始める事で少しずつ試合には出れるようにはなってくるのですが、今思い返すと大事なところでしっかりやらかしているんです。。。
そんな正木のしくじりと思い出の高校編
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
しくじり先生
〜正木みたいになるな!!〜
1章 時間の使い方は考えよう
周りの同級生よりも早い段階で進学先を決めた中学生の正木は冬の期間もボーイズの練習に参加し、自分自身の中でも今までにない自信を持って高校に進学した。
しかし、その自信も入学して間も無く打ち砕かれる事となる。
同級生みんな上手すぎ…
考えてみたら当たり前のことである。
こういう同級生達に追いつくために3年からボーイズに入ったとはいえ、たった一年間でその大きな差を埋められる訳がない。
しかもこの時点でそもそも先輩からレギュラー奪ってやろうとかそこまでの野心はない。
始まったタイミングから心がしくじっていた。
そんなやつが入学早々うまくいくはずが無く、さらに追い討ちをかけるように現実が迫まる。
弱肩・弱打・鈍足は全く変わっていないのだ。
昔に比べたらマシになった程度で高校生としての能力としてはあまりに低いものだった。
心がしくじっているが故に自己分析すらまともに出来ていなかったのである。
さらに正木はしくじりの沼にハマっていく。
この時、心がしくじっている正木は何故か
自分なりの個性を作ろう!!と考え出す。
その結果
スイッチヒッターかっこよくね?
という結論に辿り着く。
(なんか方向性おかしくね??by数年後の正木)
こうして1年生の正木は貴重な自分の自主練の時間を3年生が引退する頃までひたすら左打ちに費やすのです。
その当時野球部の顧問だった先生にひたすら練習に付き合っていただき、元々貧弱だった右のスイングと同じくらいには振れるようになった。
しかし、
当たらん。バットにボールが当たらん。
右打ちの方も貧弱スイングに変わりないので当たっても飛ばない。ってかそもそも滅多に当たらん。
こうして、正木のスイッチヒッターとしての野球人生は幕を閉じた。。。
期間にして3ヶ月程だったと思う。
自主練の時にコソコソとやっていたので高校の同級生すら知らない人も居るのではないだろうか。
今思い出してもこの時は本当にしくじったなと思う。
ただ1つ、人生においても大きな学びを得る
何でもかんでもやればいいって事じゃないんだな
ということである。。
気付くのが少し遅かった。。。
そうして月日は流れ、2年時の夏大も終わり、とうとう自分達の代に、、
ここで正木は野球人生最大ともいえるしくじりを犯してしまうのです。。
しくじり先生
〜正木みたいになるな〜
2章 気合いをいれるのは程々に
自分達の最初の大会である秋季大会前、サードの選手が怪我をし、チャンスだと思った大会前合宿の直前に正木は自らサードへのコンバートを監督に申し出ます。
人生初のレギュラー獲得のチャンス!!
絶対秋はサードで試合に出てやる!!
まぁちゃんとしくじるんですよね
合宿最終日、最後に行われた紅白戦。
試合前のシートノックで気合い入りすぎて
小指を突き指
変な方向向いて曲がらない
それでも試合に出ないという選択肢は無かったので、テーピングでぐるっぐるに巻いて監督にバレないように常に右手を隠しながらプレーをして何とか乗り切りました。
(痛すぎて試合の内容は覚えてません)
翌日、検査をした結果
右手小指の剥離骨折と診断されました。
こうして人生初のレギュラーのチャンスを逃す事になるのです。。
しかし、そんな正木に再びチャンスが訪れる。
秋大終了後の時期に毎年行われる、茅ヶ崎寒川地区の6校で行われる地区大会があるのです。
その初戦前日にショートのレギュラーの選手が熱で欠席していた
お、チャンスやん
そう思った正木はこの日、ショートのポジションでシートノックを受けました。
(定位置を一つに絞ると試合に出れないので、この時期からシートノックの時は全ポジションでノックを受けてました笑)
しかもなんか体が軽い。送球もいい。
バッティングもいつもよりちょっといい感じ?
(しらんけど)
そして翌日のメンバー表には、後に何度も見ることになる 9番ショート 正木蓮 が爆誕していた
オープン戦の2試合目(控え選手メインの試合)以外で初めてのスタメン。
当然気合が入る。
数時間後にやらかす未来の正木の事など
この時は知る由もない。
試合が始まる。
後攻のため、ショートのポジションに向かう。
人生で初めて対外試合でショートの守備に入る瞬間だった。
試合が始まる
先頭打者がフォアボールで出塁
左打ちの2番打者の初球、痛烈な打球が正木の正面に飛ぶ
正木は無事捕球し(グローブに入った)
2塁へ送球する
その送球はカバーに入っていたライトに転がっていく
対左打者でセカンドがベースから少し離れているのを確認していなかった私はただでさえ速い打球を躊躇いも無く、すぐに投げてしまった。
しかもそもそも送球高いし。。
ノーアウト二、三塁 テンパる正木
そんな時ほどよく打球が飛んでくる。
再びショートに打球が飛んだ
三塁ランナーが走っていないことを確認して、そのまま一塁に送球、、、
次の瞬間、投げたボールが何故かゴロでファーストの横を抜けていく
どんな感じか想像できる人もいるでしょう
(特にブルーリッジの方)
気づいたらベンチに下がっていて試合が終わっていた。
これが私のショートとして初スタメンの日に起きた出来事である。
こうして2度目のチャンスを逃すのであった。
約20人いた同級生の選手達の中で唯一、公式戦の出場が一度もないまま高校野球を終えてしまうのであった。
こうして高校野球を終えた正木だが、その後待ち受ける進路でもしくじるのである。
しくじり先生
〜正木みたいになるな!!〜
番外編
高一の時、春休み最後の練習の日に土砂降りの雨の中同級生と2人でふざけて自主練してたら2人揃ってインフルエンザになりました。
担任に鼻で笑われました。
っていうお話しです。 以上、番外編でした。
(番外編要らないだろとか言わないでね)
しくじり先生
〜正木みたいになるな〜
最終章 勉強はちゃんとしよう
またしてもレギュラーになれずに終わった正木にも周りと同じように進路を考えなければならない時が訪れます。
当時正木は大学でも野球を続け、得意な科目で教員免許を取って、、
というありがちな進路を進むつもりだったが、なかなか上手くいかない。
一年生の時、部活について行くのが精一杯で
まぁ留年しなきゃいいっしょ
くらいの気持ちでしか勉強してなかったので
まぁ成績がひどい
(テストの学年順位は下から1桁の常連だった)
2年生からは気持ちを入れ替え、ある程度は勉強にも力を入れるようになったものの
一年の時の下がりきった成績をフォローする事は容易ではなかった。
推薦等でも行きたい学校にはギリギリ成績が足りないという事が続いた。
その後、第一志望だった大学のAO入試は諸事情で受験できず、その他に自分の学力で行ける野球部のある大学、、、
と考えても、一般入試を心の底からしたくなかった正木には与えられる選択肢はほとんどない。
というか、無い。
試合に出たいという欲もあった為、何百人も部員がいるような大学に飛び込む勇気もなかった正木は
野球も勉強も中途半端の逃げ腰しくじり野郎
になってしまったのです。
こうして正木は学校の指定校推薦で関東学院大学に進学する事になるのですが、この時はもう
野球は楽しくやれればいいかな
という気持ちになっていたので、関東学院大学の野球部には入部せず。
高校の野球部に属さずにクラブでプレーをしていた同級生に数チームを教えてもらい、その中から選んだ。
そのチームが後にHBLの門を叩くきっかけを作ってくれた
京浜野球倶楽部
というチームでした。
この選択が正木の野球人生を後に大きく変えるという事はまた次回お話しします、、、
最後に
正木の高校野球編、いかがだったでしょうか!
高校野球にはこのnoteには収まりきらない沢山の思い出と経験をさせていただきました。
今、この独立リーグという環境の中でも野球を続けようと思う理由の一つに、高校野球で自分が試合に出てる姿を親に見せる事ができなかった。
という後悔があります。
これから先少しでも大きな舞台で活躍してる姿を家族に見せられればな、と思っています。
とまぁ長々と語らせていただきましたが!!
次のクラブチーム編で過去のお話は最後になります!
今度こそ早めに!最後までちゃんと!
書けるように頑張りますので、次回も読んでいただけると嬉しいです。
感想、ご指摘、お待ちしております。
(悪口はだめです。あと強い口調も。)
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
あ、あと今回の見出しをみて
ん?と思ったリトルトゥースの方いらっしゃいましたらご連絡ください笑