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【刑事事件】奮闘記(フィクション)

 弁護士になって1年が過ぎた。東京の丸の内にある法律事務所で企業法務を扱っている。普段は大企業のクライアントとミーティングをし、様々な会社法上の問題点や契約書の内容についてアドバイスする。やっと意見書を書いたり、契約審査にも慣れてきたところだ。丸の内でのランチは最近2000円近くするが、旨い店が多い。

 実は、民事訴訟はまだ1件しか経験がない。予防法務がメインなので訴訟にまでは至らない案件が多い。

 ただ、昔からドラマで見たように、弁護士といえば法廷で立ち上がり、堂々とものを言う、みたいなイメージがある。今の企業法務の仕事は弁護士というより、法務部での仕事のような感じだ。

 田舎から出てきて、大学に通い、予備試験、司法試験を経て、20代半ばで弁護士になったが、予防法務ばかりでは、なんか弁護士らしくないな、と思い、弁護士らしいイメージの刑事事件(資力が乏しい方のための国選事件)の弁護人を既に3件担当した。先輩や同期からは私が国選事件をすることを不思議がられているが。

 今回は、初めて上告事件(最高裁の事件)の国選弁護を担当することにした。法テラスで事件を選んだ。まぁ、最高裁の事件は、滅多なことがない限りは法廷は開かれないのだが。

 在宅(被告人が警察署や拘置所に拘束されていない事件)で、しかも、被告人は某地方都市に住んでいるので、週末を利用して面会(打合せ)にやってきた。

 初めて行った地方都市。イメージしていたより大きな都市で、ショッピングモールや地下街も充実しており、お洒落なお店も多い。今は東京に在住・在勤だが、引退したら、このような地方都市に住むのも良いなぁと思った。

 主要駅から電車を乗り換えて15分ほど、被告人の自宅のある最寄り駅を降り、しばらく歩いて到着した。10月なのに暑かった。主要駅からタクシーなら楽にもっと早く着きそうだが、国選事件だと、公共交通機関がある以上、多分、タクシー代までは出ない。30分に1本しかない電車で向かった。

 最寄り駅で電車を降り、被告人とその配偶者が住む家に向かう。15分ほどで着くはずだ。途中、右側に同じようなクリーム色の2階建ての建物が続いていた。左側の商店街らしき店はほとんど閉じていた。途中どでかいドラッグストアだけが近代的な綺麗な建物としてそびえたっていた。

 ふと思い出した。小学校の頃だ。親が、同じ町内の古いアパートがたくさん立っている場所へは行ってはいけない、そこの子どもとも遊んではいけない、と言っていた。当時は親のいうことがよく分からなかった。

 「先生、うちは、周りと同じような建物だからわかりにくいと思うので、外で待ってるよ。」

 被告人は電話で言っていた。

 確かに同じようなアパートばかりだ。アパートの敷地の道は舗装されておらず、砂埃が舞う。スーツに革靴はやめた方がよかったなと後悔した。だいたい歩いてくる途中も、ジロジロ見られた。この辺りでスーツ着てる人なんかいなかった。

 押し車に手を付いた腰の曲がった老人がこちらを見ていた。彼がおそらく被告人だ。

 彼は深々と私に頭を下げ、玄関へと案内した。外は暑く、玄関を入るとコバエが顔にまとわりついた。それを手で払い、奥へと入るとキッチンが付いた6畳ほどの部屋にベッドが2つ。部屋はベッド2つで埋まっていた。クーラーはあるようだが涼しくない。

 奥様はやわらかい顔で、「わざわざ東京からありがとうございます。」と深々と頭を下げた。

 私は座る場所に困っていたが、小さいパイプ椅子を発見し、そこに座った。自分のビジネスバッグが置けないほど物が床に溢れていた。

 「先生、お昼は? 御馳走するよ。」

 「いえいえ、国選なので、頂くわけには参りません。さっそく、事件についてお話をさせて頂いてもよいですか?」

 「そんなこと言わずに・・・。」

 彼はそう言って、自宅で作ったカレーを出してくれた。にんじんと玉ねぎと皮つきのじゃがいもは荒く切られ、肉は入っていなかった。断りきれず食べた。甘く、生ぬるいカレーだった。

 彼から、窃盗に至った経緯を聞いた。

 彼は、昔東京で働いていたそう。小さな会社だが部長にまで昇進したそうだ。その後、色々あって、会社を辞め、地方を転々とし、そのうち窃盗を繰り返すようになった。今はこの地方都市で妻と暮らしている。でも、第一審で出ているは実刑判決だ。このままだと3年近く刑務所に行かなければならない。

 「世間に対する恨みみたいなものがあったんだよね。」

 盗みをすることと、世間に対する恨みは必ずしも結びつかない。だが、世間に対する恨みが「窃盗くらいしたって、これでトントンだろう。」という意識に変わってしまったようだ。これからそのような考えの人は増えるかもしれない。自分の親の少し下の世代、つまり氷河期世代の恵まれない人達。ニュースで見た。

 私は彼から一通りの話を聞き、弁護方針を決めて、被告人の自宅を後にした。奢って頂くわけにはいかないので、カレー代として1000円札を置いていった。彼は遠慮することなくすぐに受け取り、プラスチックボックスに無造作に突っ込んだ。大量の錠剤の袋が見えた。

 外に出ると、訪問診療の医者と看護師が、この辺りのアパートには似つかないような高級車から降りてきた。2人とも見るからにかったるそうな顔をしていた。この辺りの家を回っているのだろう。医師はタバコの吸い殻を踏みつけ、少し砂埃が舞った。おそらく、被告人とその妻も、この医者の訪問診療を受けているはずだ。

 被告人の妻によれば、退院しては来たが、手のほどこしようがなく、妻はもう長くないという。

 私は、帰りの駅までの道のりを何となくさみしい気持ちでとぼとぼと歩いた。歩くと砂埃が舞い、私の革靴はすっかり白くなっていた。すれ違う人たちは、みんなお年寄りだった。彼らはここで、人生の最後のときを過ごすのだろう。

 小さな遊具のある公園があったが、おそらく、この辺りに子供や若い夫婦はほとんど住んでいないだろう。


 自分は、今の幸せを嚙み締めつつ、できれば60歳くらいで元気なうちに、ぽっくりと死にたいと思った。

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