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観劇雑感 TGR2024 トランク機械シアター「ねじまきロボットα ~こども王国の秘宝~」

2024年12月5日(木)、授賞式が行われ、約1か月間にわたるTGR札幌劇場祭2024は終演した。審査を終え、授賞式も終わったのでTGR2024観劇雑感、始めてみる。

2024年11月1日(金)19:30~ やまびこ座 トランク機械シアター
「ねじまきロボットα(アルファ)~こども王国の秘宝~」

~~ フライヤーより概要転載 ~~

天才発明家“ノーブル”は、誰でもこどもに戻すことができる機械“こどもライト”を発明しました。
ノーブルは言いました。“これで世界を平和にできる”
彼はこども王国を作りましたが、“こどもライト”の取り合いが!
え!?スーツ大臣!君に“こどもライト”は渡さない!
ちょっと!つぎはぎ、だめだよ!これはあそびじゃないんだよ!
トランク機械シアターの人形(ほぼ)総出演!
世界を平和にするために、アルファーたちが考えた結末とは!?
それでも!ぼくの夢は、世界中のみんなと、おともだちになること!

【出演】縣 梨恵、石鉢もも子(ウェイビジョン)、後藤カツキ、さとうともこ、恒本礼透・寺本彩乃(CAPSULE)、原田充子、三島祐樹、森高麻由、よっしー
 【作・演出】立川圭吾 【演出助手】笹浪和澄 【小道具】縣梨恵 【照明】立川圭吾 【音楽制作】三島祐樹@らば 【音響】橋本一生 【人形デザイン・チラシイラスト】チュウゲン 【人形制作】後藤カツキ・さとうともこ 【チラシデザイン】飛世早哉香(OrgofA/in the Box) 【企画・制作】一般社団法人トランク機械シアター (※一部省略しました)


あ、立川圭吾くん。

2023TGR対象エントリー作品の雑感(blog)で書いたが、本人とは縁がないものの周囲とは縁がある立川圭吾くん。やっぱりいろいろお話聞いてみたいなぁ。でも、正体不明の僕に「あの~」と話しかけられても、困るだろうな(笑) ・・・今年も話しかけられなかった11月(笑)。

※ちなみに、TGR2024表彰式で少しお話できました。うれしかったぁ~緊張したぁ~!そしてアルファと握手できた!これもうれしかった♪

緞帳、中割幕、花道を使いこなすトランク機械シアター

緞帳や中割幕を使うか使わないかで、演出は変わる。役者の導線も違う。そこに花道があるわけだから、どう使おうかを色々と考えることになる・・・かもしれない。
札幌の小劇場は、緞帳がない。袖のスペースも十分な広さとは言えない。下北沢のいくつかの小劇場での観劇の印象も同様である。こうした小劇場の場合、デハケやカミシモの役者の移動、小道具などの配置に何らかの制約がある。演出や舞台監督はなかなか苦労する。
劇場が変わると舞台の使い方が変わるので、なんとなくの印象ではあるが、劇団はそれぞれホームとしている劇場があるように思う。やまびこ座をホームとしているであろうトランク機械シアターは、やはり緞帳や中割幕、花道の使い方が上手いなあ、と率直に思った。これは、「使わない」という選択を含めてである。
ふと考えたのだか、「使わない」上手さはやまびこ座の舞台の作りよりも大きな劇場でこそ生かされるものかもしれない。小劇場は、使うも使わないも選択肢が少なめとなるため、「削ぎ落す」作業までは要しない場合が多いのではないだろうか。もちろん、フォーカスをどこにどのように動かすのかを考えながら、役者の動きや照明や音響の構成を作り上げていく苦労はどのステージでも同じであり、「使う」「使わない」といったことを単純に比較はできないが。
少なくとも、舞台の使い道が数多くなればなるほど、ステージは大きくなればなるほど、フォーカスのサイズや動かし方、お客様の視界を意識して舞台の使い方を考えることが必要になるだろう。逆に言うと、フォーカスの作り方やコントロールが上手いと、どんなスペースでも対応可能、ということになる。
トランクの皆さんは、各地で公演を行う中で、舞台空間を使う技術を、演出も演者も磨いてきたように改めて感じた。

ただ、今回は舞台の使い方に戸惑いというか、花道で演者がタイミングを伺う気配を感じた。新作とのこと、そのせいもあるのか、人形ほぼ大集合状態での人形同士の関係性を感じ切れていない僕の観劇における戸惑いなのか、そのあたりはわからない。僕の思い違いということもある。

演者は全員マスクなし。本来の姿での、実力。

すでに前述で「演者」と表現し、TGR2023の観劇雑感で記載したが、役者と人形遣いが混在することから、トランク機械シアターでは舞台上に登場する「人間」を演者、と統一する。
今回の演者は全員マスクなしだった。これが本来の姿なのだろう。昨年のアスク着用の時と比べると、演者の表情の豊かさが深い演技へとつながっている。演者と人形が一体であり別々である背反的な姿は、「絵本と読み聞かせる人」の関係と「≒」だと思う。人形のみが登場する人形劇、影絵劇とは違うし、使い手(と言うのか?)がほぼ無表情で人形がすべてを表現する文楽とも違う。演者と人形の間を感情や演技が往来している感覚が、僕はとても楽しいし素敵だと感じた。
演じるうえでの演者の心がけ、演出の考え方を聞いてみたいと思った。

なんか気になる、後藤カツキさん。

この雑感のほとんどは2024年11月30日に記述し、最終的には12月5日の夜に文章の調整(校正ではない)を行っている。
2024年11月29日、BLOCHで劇団怪獣無法地帯第38回公演「全員、青い」を観てきた。トランク機械シアターに出演していた後藤カツキさんが出演していた。彼の存在そのものが、舞台で主要な役割を果たしていると感じた。トランク機械シアターの「つぎはぎ」はもちろん主要なキャストであるが、怪獣無法地帯では「欠かせない」が「主要とは言えない」キャストだったと思う。
どちらのキャストも、目が離せなかった。舞台空間に存在する必要があるキャストであった。それは、書道の作品づくりの際に感じる「空間を支配する力」や「作品の構成上必要な配置」と通じる感覚である。簡単に言うと、白と黒のバランスである。「黒」の文字の形が「白」の紙を生かし、「白」が「黒」を生かす絶妙なバランスを生み出す存在感である。

後藤カツキさんは、感覚的に、なんか気になる役者なのである。

かわいかったなぁ~ ちっちゃいつぎはぎとおっきいノーブル。

こどもライトで小さくなったつぎはぎは「うぃーんガシャン」ではないし子どもだしわがままだし、とにかく幼子であることがとてもかわいかった。・・・てか、ここも後藤カツキさんの話、ではある。
そして、大人なのに幼子で一途な感じに見えたのが、天才発明家ノーブル。恒本礼透さんは少し透明感のあるわがままさ、頑固さがとても配役とぴったりだった。あの白と青の衣装が似合うのは、ブルーベースの人なのだろう。そこに少し訥弁のような話し方が、「子ども」という状態へのリスペクトを持つノーブルという人物を形作ったのだと思う。
こども王国の所以は、ノーブルにあることをはっきりと示していると感じた配役、設定だった。
機会があれば、トランク機械シアターの、ホンの発想のベース、人形と演者に対する演出について聞いてみたいところである。


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