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観劇雑感 TGR2024 我等、敵モドキ「親愛なるキサマへ、いつまでも健やかに死二タマヘ」

TGR2024、観劇後にXでネタバレしない内容でポストしている。
「脚本と演出と役者に札幌の演劇シーンの長い積み重ねを見る。抽象から具象への舞台演出が秀逸な超現代劇。」
ポストと雑感の距離感はいかに。

2024年11月2日(土)19:00~ BLOCH 我等、敵モドキ
「親愛なるキサマへ、いつまでも健やかに死ニタマヘ」

~~ フライヤーより ~~

「弔辞、死んでしまった貴方へ。私は、貴方が嫌いでした。」
王子様と幸せな結末をむかえる、素直さとやさしさを持ち合わせた絵本の主人公エレナにあこがれる姉来実(くるみ)と、形容できない感情を激しく叫び散らかす、まっすぐな音楽にあこがれた妹拓実(たくみ)。憧れに生きられない、ポップな勢いで進んでいく愚直な人生達の結末とは。

【出演】 ※cast(役)
菊池駿斗(綾斗/他)、櫛引ちか(来実)、中禰颯十(福/他)、秋葉ちよ(拓実/他)、小包ハヤテ(陸/他)、奥村怜(片桐つよし/他)
【作・演出】菊池駿斗 【演出助手】らいか 【照明プラン】奥村怜 【照明オペ】田村咲星 【音響プラン】菊池駿斗 【音響オペ】柏倉佑奈 【情報宣伝】田村咲星 【宣伝美術】中禰颯十

~~ 雑感 ~~


自由と不自由

姉妹とは不自由な関係なのだろうか。そんなことを思ってしまう。
姉も妹も自分に、自分の欲に忠実である。忠実に生きた先にある世界は、姉にとっては不自由で残酷で短い生涯を閉じたらしい世界であり、妹にとっては自由で幸せで輝くように生きられる世界であるらしい。
姉妹二人とも自由に選択した結果なのだし、幸不幸は自己責任、人を見る目がなかったかあったかみたいなことが結論のように思うが、果たして姉は不自由で残酷な世界だと思っているのだろうか。確かに他人から見ると悲劇的であり、そこから抜け出そうよ、と声をかけ手を差し伸べたくなる、登場人物のひとり、福のように。それはそれとして僕の中にもある感情だ。ただ、残念だかわいそうだ見ていて暗い気持ちに・・・という思いを持って、BLOCHを後にした記憶はない。

ホンの意図するところはともかく、姉妹の間では最終的に他者を肯定する過程を辿っている。それを描くことを通じて、「人の目を気にしたところで結局自分は自分」「まあ、気にすんな」とまで言ってもいいかもしれない”軽さ“を出している。

そうか、ラストの弔辞で妹が姉を肯定しているからか。

死を扱う芝居にもかかわらず、僕の中に作品の印象が重く深く残ってはいない。
ここを起点に少し考えたとりあえずの結果、である。
TGR2024の作品の中で死を扱うyhs「四谷美談」の“重さ”と、「親愛なる・・・」の“軽さ”を比較するとそれぞれの良さが感じられるのではないだろうか。

考えすぎだと、きっと言われる。

姉の役割は何だったんだろうか。
姉を取り巻く人々は極めて人間的である。自らの欲求に忠実で、他人を傷つけることに遠慮や配慮がないとも、躊躇がないともいえる人たちである。姉が「王子様」を信じていたことは自らの欲求に忠実といえるが、他人を傷つけることを避けていた点で、取り巻く人々とは違う。周囲の欲望や要求を受け入れ、その果てに死んでいった様は正直者が悲惨な運命をたどるというよりも、人々の罪を抱えて死んでいったようにも見える。それも、来るとは限らない王子様を待ちながら。

待ち人来たらず、人間の罪を抱えて死んでいったと語り継がれる歴史上の人物は、ひとり、である。

事実と小説とエナドリと。

芝居が始まって、最初に僕の感情に出てきたのは「長女は我慢することになるよね、上の子って損だよね」という、少し古めのステレオタイプ。僕も上の子であり、弟に対して何かを我慢してきたような気がしているから。

まあ、思い返すとそうでもなかったりするけど。

舞台で繰り広げられるのは、姉妹を両軸にした人生風景。それぞれの人生で、うまくいくのかと思うと冷や水をかけられる事態が発生する。徐々に下り坂の姉、徐々に上り坂の妹。それぞれに何らかの形で寄り添う男たち。妹のそれは王子様であり、姉のそれは王子様とはならなかった。
姉のそれである、姉とつかず離れずで存在する福が、虚実と時間を行き来していた。その効果は、姉妹の人生風景という「事実」を、福の書いた「小説」のニュアンスをほんの少し乗せているようにも感じられた。これもまた“軽さ”を出す要素だろうか。

そこに、エナジードリンクの缶が数多く登場する。シーンはさまざま展開されるが、この缶だけが、舞台装置の役割を果たしている。ホンを構想した段階で、エナドリの缶は存在したのではなかろうか。そう思わせる存在感があった。

次は何をするのだろう、「我等、敵モドキ」。

ここ数年、演劇と距離のある時間を過ごしてきた。そのせいもあるのかもしれないが、「我等、敵モドキ」という若い舞台に衝撃を受けた。

いい!とにかく、いい!

それが「脚本と演出と役者に札幌の演劇シーンの長い積み重ねを見る。抽象から具象への舞台演出が秀逸な超現代劇。」とツイートさせた。
(ポストよりツイートのほうがしっくりくるなぁ)
東京、旭川、札幌、北見を移り住んできた数年を経て、再び札幌在住。様々な舞台と巡り合う機会がうれしいこの頃、次の敵モドキを待っているのである。


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