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観劇雑感 TGR2024 ダンボールシアター 「Yummy!」

観劇後のX。
「ダンボールは工作用?おもちゃ?秘密基地?いや!ダンボールは愛だ!」

2024年11月30日(土)17:00~ こぐま座 ダンボールシアター
「Yummy!」

~~ フライヤーより ~~

ヤミィはくいしんぼう。
なんでもかんでも
「う~~ンYummy!」
とうとう食べるものがなくなって、
旅に出たヤミィが会ったのは、
おいしいものと『仲間』でした。

【操演】渡辺ゆぱ 【音響照明】傍島史紀 【楽曲提供】蛯名摩守俊 【脚本演出】すがの公

~~ 雑感 ~~


ダンボールは、夢だ。

どこの家にもダンボールがあった。
どこの誰でもダンボールで遊んだ。
壊れない紙、強い紙、四角い紙。

入って、閉じて、開けて、叩いて、蹴って、破って。
何をしてもいい、僕らの夢の箱だ。

小さなダンボールは宝箱だ。
大きなダンボールは秘密基地だ。
ダンボールはなんでも入る夢の箱だ。

憧れ。

何かを作りたい、何かをしたいときにいつも登場するダンボール。大きなダンボールの中に入ってみた経験を持つ方も多いと思う。何かを作ったことがある方も多いと思う。身近にある加工しやすくて耐久性のある素材として、幼いころの私たちにとって夢の素材だったのではなかろうか。
就職して、転勤に伴い14回の転居を繰り返してきた僕は、とてもダンボールのお世話になった。荷造りで使い、荷解き後は次の転居に向けて保管し、時に買い込んだ文庫本や単行本を収納し、カットして間仕切りや緩衝材代わりとするなど、大人になってからもお世話になりっぱなしだ。
いまもダンボールを手にすると、ワクワクしてしまう。幼いころの情景がよみがえってくる。大きなダンボールをみると、入ってみたくなる。
もはやこれは、憧れだ。

ある意味、一人芝居か。

主人公のヤミィはなんでもおいしく食べちゃうロボット。Yummyとは「おいしい」。博士のところを旅立って、いろいろな人に出会い、おいしいものを食べ、食べていくたびにどんどんと大きくなるヤミィ。最後に大きな冷蔵庫になったヤミィのお腹には、今まで食べたものが満載!それが、出会った人を救う、という展開。
小さなヤミィをどんどん大きくしていく過程で、元のサイズのヤミィが大きくなっても「顔」の部分として使われていたようである。大きくなっても、ヤミィはヤミィとして観られるしっかりとした工夫である。体を入れ替えて顔が一体となるようにはめ込む造作、公演中にその作業をスムースに行うスキル、おまけにお話や台詞を言いながら概ねひとりで進めている、これは相当な作業量と練習、手順の整理など、積み重ねに積み重ねてきたからこその舞台である。

ちなみに、大きな冷蔵庫になったヤミィを見て、懐かしのアニメ「マジンガーZ」を思い浮かべたのは、僕の年齢のなせる業、であろう。

そうだ、読み聞かせだ。

ヤミィの冒険を楽しみ、笑い、心配し、ドキドキしながらも助けてくれる、子どものための演目である。子どもたちがヤミィとお友だちになって、初めて成功といえる。子どもたちの姿、ヤミィの姿を観ているからこそ、ダンボールシアターという空間に大人たちは入り込めると思う。

人形劇としては、TGR2024ではトランク機械シアターの公演があった。この舞台は、人形と演者の一体感やお客様としてご来場の子供たちとの関係がとても大事な舞台ではあった。では、ダンボールシアターとトランク機械シアターの違いはどこにあるのだろうか。
それは、ダンボールシアターが概ねひとりですべてを進行している、という点にヒントがあった。

ダンボールシアターは「読み聞かせ」なのだ。それも、読み聞かせる内容をすべて記憶して、展開も動作も作業もすべて記憶して行う、高度な読み聞かせなのだ。

じゃじゃーん!

読み聞かせだと考えると、すべての合点がいく。
開場中から始まる操演者と子どもたちのコミュニケーション、舞台とお客様の物理的な距離の近さ、そこから生まれる心理的距離の近さ、速いテンポのストーリー、上演時間の短さ。ホンの構成で重要なのは、次に期待したくなる程度の距離というか高低差というかそういう展開であって、ええと、つまり、「じゃじゃーん」である。

こうなってくると、ダンボールシアターは演劇なのか、という疑問を持つかもしれない。

演劇は演じる人がいて、見る人がいて、演じる場所があって、演劇が成立、ということらしい。ここに演目もしくは戯曲を含めることもあるようだ。ひとりですべてを演じるとなると、一人芝居に思い当たる。一人芝居には演じる人がいて、見る人がいて、演じる場所があって、ホンがある。ダンボールシアターにもそうしたものはある。だから演劇だ、と考えることは可能である。

他方、演じるのはダンボールで作られた人形だが、そこには操演者がいて、操演者が人形を通じずに観客とコミュニケーションをとる場面がある、人形が役者になり切れていない、つまり操演者が人形を操作しているのであり、フォーカスが人形と操演者を行き来する。それも、同一の役柄としてではなく別々の存在として。

故に読み聞かせである、と考えるわけなので、絵本や紙芝居と同じカテゴリーに入るもの、という答えもあるのかもしれない。
僕は「読み聞かせ」だと考えているが、演劇ではないとまでは思っていない。狭義の演劇ではないが、広義の演劇だと考えている。読み聞かせも読み手、聞き手、場所、台詞などがある。朗読、読み聞かせ、影絵劇などにもかかわってきた経験から、演技性の有無を線引きに使えると感じている。3つまたは4つの演劇の要素と演技性から、ダンボールシアターは広義の演劇であると判断している。

いろいろ考えるきっかけの作品。

本稿の書き上げに、思いのほか時間を要した。ダンボールに心を奪われたり、人形や操演者、演者の関係などいろいろ考えるきっかけとなった。また、感じていることを表現するには漠然かつ直感的でありすぎたのだろう。言語化に考える時間が必要な作品であった。

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