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観劇雑感 TGR2024 劇団5454(ランドリー)「ねもはも」
観劇後のX。
「どれが現実なのか。善意とは身勝手なのか。わからない、不安、放心、事実は根も葉もないのか。フェイクの創造、忘却の孤独が押し寄せる。」
2024年11月22日(金)~24日(日) PATOS 劇団5454 2024年本公演 「ねもはも」
※「5454」と書いて「ランドリー」
~~ フライヤーより ~~
旧友のうわさを聞いた。
ずいぶん前に結婚し、もう小学生になる子どもがいるという。
気まぐれに買った祝いの品を抱え、彼に会いに行った。
一見、所帯を持っているようには見えない彼に祝いの言葉を述べる。
すると彼は、声もなく驚いた後、大きなため息をつく。
「子なんぞいない。妻もいない。最後の恋は10年前になる」
戸惑う私に、友人は続ける。
― この世界は、根も葉もない。
【出演】高品雄基、岸田百波、森島縁、榊木並、窪田道聡、及川詩乃(以上、劇団5454)、神田莉緒香(ストロボミュージック)、榊原美鳳、佐野剛、谷本ちひろ、万行翔馬
【作・演出】春陽漁介 【音楽】Shinichiro Ozawa 【舞台監督】北島康伸 【照明】安永瞬 【音響】游也 【演出助手】柴田ありす 【宣伝美術・デザイナー】横山真理乃 【マネージャー】堀萌々子
(※一部省略しました)
~ 雑感 ~
主人公の男と観客は、一緒に混乱する。
最初のストーリー。主人公の男は久々に同級生と再会する。主人公の男は2次会に行かずに帰る。別れた級友たちは、彼女のもとに帰ったと思い、結婚間近と思い込む。その思い込みを同級生に拡散する。相手を突き止めようと必死になる。同級生たちは記憶を呼び起こし、つなぎ、ひとつの姿を形作る。そして婚約者の女を突き止め、内緒でパーティーを開こうと画策する。主人公の男だけが取り残され、同級生からその話を聞かされ、混乱する。結婚の予定も婚約者も恋人もいない、と。しかし同級生は言う、婚約者に会って結婚することを聞いたという。母からの電話、結婚前に帰ってくるんでしょ、と。混乱に拍車がかかる。なぜだ、なんだ、どういうことだ・・・。
そして婚約者の女がウチにいる。二人は高校の同級生で偶然の再会から結婚を約するまでに至っていたらしい。しかし主人公の男は婚約者のことを覚えていない。混乱、混乱、混乱。
どちらが本当のことなのか、どちらが事実なのか、誰がホントのことを言っているのか。事実とはなんだろうか。混乱、翻弄、嫌悪、同情、錯乱。観る側としてはどこまでを事実として認識することができるのか、感情が迷走する。
ここまでの展開が、この芝居を大きく形作ることとなる。僕の解釈では。
噂が現実化していく。
真実がどこにあるのかはともかく、級友たちは主人公の男が結婚するとの噂を積み重ね、積み重ねに積み重ね、積み重ねる。そして婚約者を突き止め、会いに行く。
主人公の男は結婚の予定も記憶もなく、混乱する。その様子を同級生たちは記憶障害と噂し、記憶障害の原因は婚約者にあるとし、さらに噂を積み重ねる。
現実かどうかを考えたり理解しようとせずに、ただそこで積み重ねられていることを信じてみよう。疑いを捨て、受け入れてみよう。すると、具現化する。
いや、これはわからないか。
実在とは何だろう。目の前にあるものを僕らはなぜ信じているのだろう。信じるってなんだろう。信じることが実在だとすると、信じることでしか実在しないということになる。また、周囲の期待に応えることも噂を実在に変えることともいえるのではなかろうか。
つまり、噂を信じると実在となる。根も葉もあろうがなかろうが。信じる量、つまり信じる人々が多ければ多いほど存在の信ぴょう性が高まり、実在することとなる。SNSに流れる話が、事実かどうかにかかわらず真実として捉えられるように。まあ、過去からそういうことはあるのではあろうが。実在とは、現実とはそんなものだ。そして登場人物の台詞にこんな言葉があった。
この世界は、根も葉もない。
善意と言う身勝手。
同級生たちは、決して悪意ではなく、善意で動いている。だからこそ手に負えない。そういう経験をお持ちではなかろうか。この作品に登場する同級生たちは、相当にアクティブで身勝手なほどの善意に満ち溢れている。良かれと思うことを実行することは、どんな場面においても好ましい行動だと思っているからこそだろう。
善意は、果たして誰にとっても善意だろうか。このことも考えておきたい。
記憶を失う恐怖、生きている実感。
「数日前に現れたあいつは、もう3か月も前からいるような顔をしている」
婚約者の女がボランティアに来ている施設で、老人が主人公の男に言った。
最初の、主人公の男と観客の混乱は、ここでひとつの解釈を提供する。
記憶障害という言葉が出てきているが、認知障害という言葉もあり、加齢とともにそうした状況を迎える可能性が誰しもある。認知障害の状況を、ボランティア先も主人公の男も示している。
僕たちは、認知障害の方々を、外側から見ている。彼らの内側を覗き見ることはできない。うかがい知ろうとしても、それが彼らの内側の本当なのかわからない。記憶障害も認知障害も、本人でない限りは外側から見ることとなる、という意味で客観視せざるを得ない。
客観視することで、自ら記憶を失う状況を見ているようにも思え、僕は恐怖に苛まれる。
結局のところ、僕らは何を実在の基準としているのだろうか。記憶を失う様子を捉え、「戻る」と表現することがある。それは、「子どもに戻る、還る」という意味のようである。幼いころの記憶は、僕にはほとんどない。親のぬくもりも覚えていない。親を恨んだり嫌悪したりしていないので、ただ覚えていないだけだろう。自分の子供を抱いたぬくもりはよく覚えている。いまも出かける時は妻の存在を確認するようにハグする。
多分、人は人のぬくもりによって生き、生かされているのだろう。それは記憶のない幼いころから、意識も命も失うその瞬間まで。
発想というか、考えが作品から離れ、かなり飛躍してしまったようだ。
チカラのある役者、巧みな動線。
TGR2024の期間中、残念なことにコロナで引きこもる事態が発生した。日程が合わなかった作品を含め、4作品が動画視聴となった。そのひとつが「ねもはも」である。
動画でもこれほどまでに役者が巧みだとは。11人の役者が数名をのぞきシーンで役柄を変えて入れ代わり立ち代わり演じている。そして破綻がないのだ。舞台上で複数のシーンを同時に展開する場面もあり、台詞を重ねていく場面もあり、相当な稽古を積んだのだろうし、これまでの積み重ねが生きているのだろう。
シーンの切り替えも実に鮮やかだ。作・演出の春陽漁介さんは、多分構想から舞台上の動きを映像として浮かべていたのではなかろうか。この作品は札幌と東京で上演されたが、札幌では客席が舞台を挟むように配置され、多分東京では劇場HPの舞台図を見る限りは通常のステージ形式だったと思われる。どちらであっても役者の舞台上での意識の置き方は大きく変わらないと思うが、札幌の舞台を考えると、演出としては空間配置を様々に思いめぐらせたことだろう。
改めて舞台を振り返ると、長方形の舞台の短辺側2つを客席、長辺側2つを役者の佇むオープンスペースとした。オープンスペースは、袖のないパトスを利用するうえでの工夫だろう。加えて、四方を客席で囲むイメージも持ち合わせていたのではないだろうか。オープンスペースでの役者の様子は、時に傍観者、時に舞台の一部、時にリラックスして舞台を観る観客(席)であるように見えた。
オープンスペースを除く舞台上の配置は、中央に縦横高さそれぞれ1メートル程度と思われるハコ、四方に木製ベンチが置かれた。椅子はその都度、オープンスペースから登場し、ハケていく。シンメトリーな舞台装置の配置、フォーメーションを思わせる役者の動き、フォーメーションの中にシンメトリーとモダンダンスかコンテンポラリーを思わせる動きが少し含まれている。
ホンの書き方、構成にもかかわってくると思うが、照明を含めたフォーカスの配置と整理、ともすればごちゃごちゃになりかねない動線もあるわけで、実によく構成したものだと、僕は感心に感心を重ねている。
パトスのための舞台構成。
昨年、TGR2023dの大賞作品となったこの劇団の作品「宿りして」は、コンカリーニョでの舞台だった。その際に劇団の方々もパトスで観劇されたのだろう。故に、こうした構成も当初から考えたのだろう。もちろん、ステージ形式の舞台でも成り立つだろう。成り立つだろうけれども、パトスのような平面の客席配置が自由にできるハコのほうが似合う舞台だと感じた。つまり、パトス向け、と言えよう。
他方、観客全員が舞台を俯瞰できるのであればとてもいいと思うが、客席の位置に対して舞台進行による役者の移動とフォーカスの距離感が、観る側の目まぐるしさを助長するのではなかろうか。舞台を構成する発想の豊かさと役者の技術の高さが、舞台の作り込みすぎを招き、脚本の台詞の巧妙さと難解さも相まって、観劇する側にとってはわかりにくさを感じさせると思う。初めて舞台を観る方々にはお勧めしにくい脚本と舞台構成の作品だった。
とはいえ、作り込まれた舞台は魅力的だ。万人受けではない一方で、観劇を重ねている観客や舞台経験がある者にとっては、よい意味で唸ってしまう作品だ。
僕にとって惜しむらくはこの作品を動画で観劇したことである。パトスで観劇していたら、どんな印象と感想を僕は持ったのだろうか。これからも劇団5454(ランドリー)に注目したい。
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