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月の妹たち 第七章 ~邂逅~

まばゆい月が天空にぽっかり大きな光の輪を広げているものだから、こんな夜は軽視されがちだが、どんな田舎町でも、外灯がところどころに灯っていて市民の安らかな外歩きを見守っている。
そのひとつの外灯の下には、大きな滑らかな岩が何百年前からか居を構えていて、幾度の災害でも揺るがぬその石に、皆が有り難い名前をつけて大事に崇めていたという。
そんな大昔の伝説のような話など知らない若いハイヒールの女は、自分の歩みで弾む影が、ある瞬間を境にふたつに分かれ、それぞれ別の方向を向いてしまったことに気づいて立ち止まった。
ちょうど、後ろから月が、左上から外灯が自分を照らしている。
ふたりの騎士から交際を申し込まれた令嬢のように、ひとつの影は恥じらい、先を急ぐように前方に伸び、ひとつは可愛い誘惑を残して岩に寄りかかっている。
迷うようなハイヒールのステップが、ひとつ、ふたつ、そして止まる。
女はちょうど腰の高さの平たいその岩に腰掛けた。大腿から、膝の裏までアイスキャンディーの上にいるみたいに心地よい。
そのとき、キンモクセイの梢の向こうで、闇から小さな声がした。
「姉さん?」
疑っているとも、驚いているともとれる、弱々しい声だった。
「あなた、姉さんよね?」
声は静かに近づいてきて、在る一定の距離をとって止まった。
そして、茂みの中から現れたのは、草刈り機を装着して前方に刃を向けた、戦闘態勢の老婆だった。女はとっさに声がでない。息をしているのに、小さな気泡が砂のように喉につっかえて、なにも声にならない。こんなちょうどいい岩の椅子に腰掛けていなければ、崩れ落ちているところだ。
老婆は外灯の下までやってきて、ようやく重そうな草刈り機を地面に下ろし、自分がさぞ不審であったとは考えも至らないように、女の無言を責めた。
「姉さんが黙るとき、わたし、何考えてるか、全部わかるんだ。
だって、わたしたち、双子だもんね。」
女はぎょっとして老婆のことを二度見する。しかし老婆はそれに気づく様子はない。
「命日に。五十年目の命日に出てくるなんてねえ。遅すぎるわよ。」
五十年目?命日?
自分が亡霊と間違われていることに、ようやく気づくと、ハイヒールの女はほんの少し、安心した。なぜ安心したかは、うまく説明できない。
担いできた草刈り機に視線をうながすと、またもや老婆は蕩々と語り出そうとした。
「ちょっと待って。」
話を遮った若い女の声に、今度は老婆が驚いて身体を引いた。
「姉さん、話せるの?」
若いハイヒールの女は、最初の強烈な驚きを過ぎると、少しの間考えていたが、どうせ退屈な夜だ。この老婦人の妄言に乗っかることにした。
「…秘密だよ。」
いたずらっ子のように、形のいい唇に人差し指をあてて、ささやく。
老婆のほうも、負けてはいない。
「あたし、秘密って大好き。」
その甘美な言葉の響きに、ふたりの女は何かを夢見る瞳で微笑んだ。

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