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はぐれ雲

はぐれ雲

10月半ばのよく晴れた朝。
わたしは風の中をあてどなく歩く。
仕事へ向かう車はとうに住宅地から消え去り、家々の軒先には洗濯物が所狭しと干されて、高くなってゆく太陽の光に翻って揺れている。
時刻は10時を回って、家事を済ませた主婦も落ち着き、ひと汗かいた農夫も一度手を止めて引き返し、いまではひんやり冷たく感じるようになった古い革のソファに集まり、一息、茶を啜る。
と、わたしは農家の一室にひっそりと思いを馳せてみる。
空の下には、掘り返された田畑で獲物を狙うとんびが数羽、悠々と舞うほか、なにもかもが静止している。
丘に放置されたトラクター、道端に乗り捨てられたトップカー。庭先に停まる軽トラックも、いまは主人を失ってジリジリと熱をはらむばかりだ。
そんな、だれもがやるべきことを成して、いるべきところに収まり、あるべきものはそこにある世界で、わたしは抜けるように高い青空の下を歩きながら目的地もない。
ひとりきりだな。
まるで真夜中に太陽がでてるみたいだ。
人々が意識を失っている間、夢の中を抜け出して、まばゆい光を浴びて冒険に出かける。ただ、その光はスポットライトではないし、妖しい月光の魔法でもない、輝く太陽の光なのだ。
そんな錯覚に陥るのは、大規模な収穫が阿吽の呼吸で中断され、皆が皆、家々に帰って休息をとるこの時間が、わたしにはひどく恐ろしく感じられるからだ。
それは血気盛んな祭りの途中で人々が一斉に消えてしまうような、一夜にして一集落が神隠しにあってしまうような、不気味なほどの静寂を意味する。
家族の時間。家族しか知らない時間。村の時間。村しか知らない時間。
誰も知らない昼を生きるわたしは何者なのか。
目的もなく彷徨うわたしは何者なのか。
それはおそらく定義しようもない、何者にもなれない、形をもつことを忘れた、寂しがり屋の亡霊みたいなものだ。
泣きたくなるほど深い青に、ぽっかりと浮かんだ浮浪(はぐれ)雲だけが、わたしにそっと寄り添ってくれていた。淡く溶けながら、あの雲とひとつになれたら、わたしはどこまでも孤独に耐えられるだろうに。



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