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月の妹たち 第十章 ~変形~

女は少しの間、自分の秘密の生活を話してみようかと躊躇って、やめにした。老婆に重ねた手のひらから不思議な波が押し寄せるのを感じて言葉を飲み込んだからだ。
それは、未だ生きている思い出の影、ほとばしる情愛の泉、枯れるまで尽きなかった深い悲しみの森、そして半世紀を駆け抜ける走馬灯の美しく鮮烈な光の渦だった。
二人の若く、聡明な騎士が真剣を交えて戦っているような、火花散る合戦の最中にいるみたいな、
そんな錯覚を起こす目まぐるしさがあった。
しかしそれはよく見ると、男装をした少女二人で成っていて、その姿、手元は目を凝らして見れば見るほどゆっくりと形がほどけていく。
振りかざした手は実はほっそりと頼りなく、唇にはこっそり微笑みを浮かべて、まるきり正体をあらわにすることなんて、はじめからそのつもりだったわよ、と言わんばかりに戯れあっているのだ。その変化に女は驚き、圧倒され、ほんの少し憧れもした。
だって、女の子特有の真面目な取り決めの遊びがこの世にどれだけ多く蔓延っているだろう。
その遊戯全てを、目の前の年配の女性は一つ残らず覚えていて、ゲームを始めるのもやめるのも、あなた次第よ、と余裕で構えているのだ。
そう、年配の女性。あれ?女がハッと気づいて目線を上げると、手を取り合っているはずの老婆は、もはや老婆の姿をしていなかった。
一瞬の隙に、張りのある肌、ピンと伸びた背筋、寝巻きの上からでもわかる豊かな胸を持ち合わせた、若い女にそっくりの容貌に変化していた。これって、まるきりお婆ちゃんの服を着てものまねをするわたし自身じゃないの。
女は驚くと同時に不思議な愛着のようなものを感じた。
だから、この女性は、わたしのこと「姉さん」って呼んだんだ。女はようやく合点がいった。
だけど、老婆はその変化にまだ気づいていないのか、眼差しだけは深い夜の森のような静けさに満ちている。
「もういいよ。」
女がぽつんと放った言葉は宙に浮いて、そのままふわふわ空高く昇ってゆき、明るい月に重なると、弾けるように割れて、老婆だった女の鼓膜を揺さぶった。
すると夢から醒めたように、瓜二つの女たちは顔を見合わせてくすりと笑うのだった。
さあ、時間は午前二時三十二分。
魔法は解けたの?掛かったの?
どっちでもいいけど、この双子、どこに行くんでしょうね。

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