いじけ虫は人間の声を聞くと疲れる

若い頃は(世間一般的にはまだ「若い」部類なのだろうが、微妙な所だと思う)世の中は可能性に満ちていて、未経験でも好きなことならば今からでも死ぬ気で始めればどうとでもなる、と目をキラキラと輝かせ、あんなに意欲と生命力に溢れていたのに、経年とともに自信と活力をなくし、いつの間にか腰が重く、何かを始めるにも時すでにおすし状態に感じるくらいには頭も凝り固まってしまった。

大学進学にはありがたい事に一浪させてもらったが、教授のお情けで卒業単位をもらい、4年間で何が身についたかと言えば家族不和と心身の衰弱を言い訳に授業をサボる悪知恵と、4年目にしてようやく長く付き合える数少ない友を手に入れたことくらいだった。ただのモラトリアム期間、女手ひとつで育ててくれた母は何を思ったのだろう。こんな娘に育ってしまい、反抗ばかりしていたが今となっては申し訳なさが先に立つ。

浪人期間により一年時空が歪んだ訳だが、人間関係は次々と昇進・結婚してゆく同年代から苦手になっていった。
過去は全て汚点、なかったことにしたい私は自分から率先してSNSを断つようになり、付き合いは疎遠化した。
幸い相手から自分に連絡がくることもなく、いかに薄っぺらい関係性しか築いてこれなかったかを悔いる気力も無くし、とうとう考える葦ですら無くなった私はいつでも人間を辞められる準備を整えていく。

バラエティ番組やドラマを娯楽としなくなってそろそろ一年経つが、たまに意を決してテレビの電源を入れても10分も持たず疲れてしまってだめだった。ニュースはネットニュースですら無性にイラつき、検索サイトのコメント欄へ皮肉を書いては通報され削除されるのは日常になった。
中の人間の存在が曖昧になるアニメやゲームにばかりのめり込み、なぜ私は3次元に生まれてしまったのだろうと何度絶望しただろう。