プペってねぇよ
テーマが変わると見方が変わる
プペルを2回目みたんだけど1回目映画館でみた時は「獲得」が僕の人生のテーマに多分なっていてそれでも4回ぐらい泣いたんだけど(隣に人が座ってなくてほんとよかった、ドン引きされながら映画見るのつらい)
2回目は僕の人生のテーマが「自愛」でその視点でみたプペルの感想を書きます
情景を文章にするのがめちゃくちゃ難しいんだけど
ゴミ人間のプペルはルビッチに黙って広大なゴミ山からお父さんの形見の無くしてしまったブレスレットを探します
このゴミ山の広大さの絶望感がとても印象的だったんですが
毎日毎日探しても見つからなかったブレスレット、ゴミ山にあるかどうかもわからないブレスレット、、
プペルはゴミ山の中から青く輝いてる光を見つけます
ブレスレットだと思ってみたら「割れた鏡」が反射して光ってただけだったんですが
写し出してた自分の姿を良くみたら、、、自分の中にブレスレットがあって、自分を動かしていたのはブレスレットだった
今の僕がどう捉えたかというと
この世の中にはゴミみたいな広大なノイズがある、人生でやりたいことや、なりたい自分を外側から探すけど臭くて、汚くて、恥ずかしい思いをしながら探していく、、
その過程の中で光り輝いてる人を見つけて、「人は鏡」だからその人から反射した自分を見て自分の人生の本当の答えを見つけるんじゃないかなーって考えました
自分自身の心が綺麗じゃないと鏡がしっかり反射してくれなくて中々見えない
このシーンが一番捉え方が変わったシーンだった
アントニオ
この物語は西野亮廣の自叙伝と色んな人から言われていて
品川さんが最も共感したのがアントニオ
多方面からバカにされてる中、西野さんは走っていてこんなセリフをきっと耳にしたんでしょう
空気を読めよ
お前もいい加減こっちへ来い
こんな少年がこんな表現するのに一回目見た時違和感を感じたのですが色んな場面に共感するために彼にこのセリフを言わせたんだと思います
今まで否定してきたものを肯定するってとても勇気がいる行為
でも誰だって間違いはするからどっかのタイミングで手のひらを変えさなきゃいけない
それを星を見る前にした彼の勇気を2回目は感じれました、、、
自分を許してあげることは人生を肯定するのにとても意味がある
現実にいたら絶対嫌いだけど、、、絶対嫌いだけど、、、、
こいつリア充で結局全部いいとこ取りしやがった
星は僕らの可能性
見たのかよ、、、
見たのかよ、、、、
誰か見たのかよ!!!!!
あの煙の向こう側を誰か見たのかよ!!
誰も見てないだろ!
だったらまだわかんないじゃないか!
星があることもわかんないし、ないこともわかんない!
わかんないものに蓋をしていたら、いつまでも蓋をしてたら
何も始まらないじゃないか!!!!!
「コロナ」、「添加物」、「情報操作」、「資本主義社会」そんな黒い煙で覆われてる中、星という僕らの本当の姿、可能性をルビッチは見せてくれたんじゃないかな
僕にとって彼の意思は星よりも光り輝いていた
本当の強さ
ゴミの身体のその奥には 綺麗なハートがある
汚れを知らないキミの目やコトバや背中が
臆病なボクに教えてくれた
本当の強さを
「本当の強さ」は「自分の人生」を歩めることなんじゃないかな
人に愛されなくても、味方がいなくても、友達に裏切られても、通用しなくても、大好きなあの子に振られても、、、
今の現代は繊細で優しくて人の氣持ちを汲み取ってあげられる人ほど傷つく社会になっているけど僕も臆病だけど「自分の人生」を胸張って生きていけるようになりたい
最後に
僕にとってプペルは最高の映画だった
それを前提として話したいのだが
西野亮廣の自叙伝と周りは言うが西野は昔から人氣者でカジサック チャンネルで加地さん(アメトークのエグゼティブプロデューサー、、確か)に動画出てくれた理由を聞くと、、
「俺、西野好きじゃん(だからカジサック チャンネル出た)」
とクソほど周りから愛されていて、バカにされていたけど孤独とは少し違ったんじゃないかなって、ゴリゴリ勝ってきた人間はルビッチとは違う、、自叙伝ではないと思う、、、ルビッチが西野みたいなキャラで出てきてほしくもないし、チビ西野の声を芦田愛菜にやって欲しくないけど
あぁこんな見方しかできない自分が嫌いだ
こんな見方してたらそりゃプペれないよ
だから俺は映画見て感動したし、影響も受けて行動していきたいけど
プペってねぇよ
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